永禄江馬の乱(十一)
「我が主が問うておるのです。こたえなされ」
塩屋筑前が声を荒げたのを合図とするかのように、新九郎頼一或いは良頼嫡男光頼等が口々に
「裏切り者め」
「何故こたえぬか。思うによこしまな企みがあったからであろう」
と雑言を飛ばす。
時盛は消え入りそうな声で
「あいや、断じて裏切りなどではなくして……」
とか
「よこしまな企みなどそれがしには……」
と弁明にもならない言葉を途切れ途切れに発するしかない。
ただ、
「敵は我等に数十倍する敵でござって、抗い敗れ去れば諸国に聞こえる獰猛な武田の軍兵のこと、略奪狼藉の憂き目に遭った民草が塗炭の苦しみを味わうことを思うと……」
とするのが、弁明らしい唯一の弁明であった。
江馬常陸守は勢い込んで
「たとえ勝ち目に薄くとも、挑まれれば戦うのが侍の道というもの。もし敗れることを恐れて敵方に転じるというのであれば、あらかじめ陰腹切ったうえでそうなさるのが領主の務めというものでござろう。
己が務めを忘れ、のうのうと生き延びた挙げ句、敵を領内に引き込むだけでは、我が身かわいさに栄耀栄華を望んで敵方に転じたのとなにも変わりがござらぬ。
今からでも遅くないから、この場で腹を切られてはいかがですか」
と、若年とも思えぬ辛辣な物言いだ。
これにはさすがの時盛も怒気を顕わにして
「永年の恩顧も忘れ何たる言いよう。立場を弁えよ!」
と大喝したが、この場に不利なのは時盛の方である。先ほどにも増して烈しい言葉が、時盛に対して投げつけられた。
「立場を弁えておらぬのは時盛殿であるぞ」
「果敢にも敵将に一騎討ちを挑んだ輝盛殿こそ江馬家当主に相応しい」
「左様。時盛殿は累代の家宝を輝盛殿に託し、兄弟揃って出家でもなされては如何か」
この言葉を合図とするかのように、一座からどっと嗤い声が起こった。
時盛は恥じて、貝のように押し黙るしかない。
「いずれに致しましても」
切りだしたのは光頼である。
「江馬左馬助が、高原を領する己が使命も忘れ、恥知らずにも武田の軍門に下った所業は侍の面目を失う行いであって断じて看過できません。ご兄弟には腹を切るか出家していただき、江馬惣領家は輝盛殿に相続していただくのが物事の道理と考えますが如何でしょう」
この言葉に時盛は驚き慌て、
「その儀ばかりは……、どうかその儀ばかりは御容赦下され」
と懇願するが、光頼から
「黙らっしゃい」
と一喝されて言葉を継ぐことが出来ない時盛。
諸衆が固唾を呑んで良頼の決断を見守る中、国司としての威厳を前面に押し出しながら良頼は言った。
「いかさま、光頼の進言尤もである。数十倍する敵と言い条、戦う前から戦意を喪失して敵勢を領内に引き込むくらいなら侍の道など捨てて出家なさるのがよろしかろう。
しかしながら時盛殿が武田と結んで謀叛に及んだ証拠を寡聞にして聞かぬ良頼である。時盛殿と申せば永年我が父徳翁宗公(直頼)と友誼を取り結んできた時経公の御子息でもある。御父上殿に免じて、今回ばかりは赦免してやろう」
「しかし……」
不満げな光頼を制して良頼は続けた。
「今後とも我が三木家と江馬家の友誼は固く取り結ばれるであろう。国境の警固、ゆめゆめ怠るでないぞ」
と、威厳たっぷりに申し向けると、時盛直盛兄弟はその場に深くひれ伏しながら、ありがたくも国司より賜った恩寵に、形ばかりの感涙を流してみせたあたりは田舎侍の狡知ここに極まれりといった風情を醸すものであった。




