永禄江馬の乱(六)
こともなげに言ってのけた輝盛の言葉に、塩屋筑前が疑問を呈した。
「そこもとが討ち取られればどうなるか」
「塩屋殿は持ち城の尾崎城へと落ち延びるなり、この場にて玉砕なさるなり、お好きな方を選べば良い」
「ではそこもとが敵を討ち取ってしまえばどうなるか」
「やはり敵は、飛騨から根こそぎ奪い尽くしてこの国を滅ぼしてしまうでしょう」
「……下策ではないか!」
塩屋筑前が舌打ちとともに言う。
しかし輝盛は
「引き分けの目をお忘れだ」
と言った。
輝盛が続けた。
「確かに勝つか負けるかの二者択一であれば、塩屋殿の申すとおりで下策というより他ありません。しかし我等のうちの代表者が死力を尽くして敵の高名の侍に当たり、数十合でも鑓を合わせた上で引き分ければ、敵は無駄な血を流すということがなく、しかも上手くいけば我等の決死の武威に恐れをなしてこれ以上深く侵攻してくることがなくなるやもしれません。
馬鹿らしい策と思われるでしょうが、どうせ勝ち目のないいくさです。やるだけやってから諦めても遅くはありますまい」
この輝盛の提案に、しばし口を開くことが出来ない塩屋筑前。
確かに敵は嶮岨な安房峠を越えてきたばかりで、いくさに倦んでいることだろう。このうえ飛騨の死兵を相手に戦って、出血することを厭う公算は高かった。財に乏しい飛騨の国情も知っているだろうし、そうである以上略奪狼藉といっても取れ高はしれている。
飛騨攻めは武田の諸侍にとっては儲けの薄い戦いに違いなかった。
こういった武田勢にむやみに打ち掛かり、敵方に犠牲者でも出してしまえば、それこそ寝た子を起こしかねない暴挙というべきであろう。
だから一騎討ちを挑み、しかも引き分けで終わらせようと輝盛は言うのである。
確かに理屈は通っている。
しかし言うは易く行うは難しの喩えどおりで、意図的に引き分けに終わらせるとなると、敵方に遙かに優越する技量が必要とされるだろう。そんな使い手がこの中にあるのだろうか。
塩屋がその疑問を口に出すと
「それがしが参りましょう」
輝盛が口角をにやりと上げてこたえた。
馬首を揃えて武田方の陣を見渡す輝盛、塩屋筑前の両将。これまで幾つかの戦陣を踏んできた塩屋筑前であったが、その戦歴は飛騨国内に限られたもので、五千もの大軍を目にしたのはこれが初めてのことだ。この大軍が、平湯村に旗を並べ、陣幕を張り巡らせ、哨戒の兵を立たせながら整然と布陣している様は、塩屋筑前にとって驚きであった。いったい武田の将は、どんな方法で五千人もの人々をあのように統制しているのだろうか。確かにあんなのを相手にいくら死力を尽くして戦ったところで戦果は知れている。犬死にというべきであろう。
その敵陣に向かって、長弓を手にした輝盛がただ一騎駆け寄る。
五千もの大軍が屯する平湯村に、かかる命知らずの敵一騎。武田の諸兵はその姿に興味津々だ。或いは降伏の使者かなどと口々に囃しつつ、物珍しそうにその姿を見物する者数多。
輝盛はあらん限りの大音声で呼ばわった。
「いま、武田の軍兵は臆面もなくこの荒城郡に押し寄せて参ったが、我等江馬の衆は武をもっぱらとする家柄ではあっても甲信に干戈を動かしたことはなく、武田の人々に攻め寄せられる謂われなどもとよりない。大義なきいくさに駆り出される汝等軍役衆こそ哀れなり。この上は無駄な犠牲者こそ出すべきではない。どうしても戦いたいと申すならこの高原岩ヶ平城主江馬常陸守輝盛がお相手致し申そう。我と思わん者こそ出会え」
次いで輝盛は敵陣に向けて矢文を放った。一騎討ちを挑む旨を、書面によって敵方に知らせるためであった。




