永禄江馬の乱(五)
そこへ現れたのはやはり五十騎ほどの一群である。
塩屋筑前は身構えた。
塩屋筑前にとって、武田勢を平湯村に招き入れた江馬家一党は既に明白な敵であった。その敵地において遭遇した以上、自分達以外の全てが敵と考えねばならなかった。塩屋筑前は思いがけず敵地深く進み入り、そしていま、有力な敵の一群と遭遇してしまったのである。
塩屋筑前を襲ったのは諦めであった。
もし逃げ延びるチャンスがあるというのであればそれに賭けない塩屋でもなかったが、武田の大軍は既に飛騨国内に侵入し、高原が丸ごと敵方に転じた上、自分達とほぼ同数の敵勢に捕捉された以上、生き残るチャンスに賭けろという方が無理筋であろう。
塩屋筑前は死を覚悟して
「我こそは三木家家人にして尾崎城主塩屋筑前守秋貞。討ち取って手柄とせよ」
と喚きながら、慣れない鑓を片手に敵陣に突っ込もうとした刹那。
「待たれよ待たれよ、味方でござる」
と、敵方だとばかり思っていた一群から呼ばわる者がある。
地獄に見た一条の光明とはこのことか。
塩屋筑前が勇躍敵方に襲い掛かろうという騎馬の手綱を引くと、一群を押し分けて出て来たのは、将と思しき若い侍である。見れば緋縅の二枚胴具足に身を包んでおり、高い身代の侍であることが分かる。喉輪を着すばかりの他の侍衆とは明らかに身分が違って見える。
若武者は続けて言った。
「それがしは高原岩ヶ平城主江馬常陸守輝盛。先般、良頼公より輝盛の名を拝領した者にございます。まずは鑓を収められよ」
塩屋筑前は輝盛の言葉に従って鑓を下ろしたうえで
「味方などと言い条、江馬勢は平湯村に武田の大軍を手引きしたではないか。どういった了見だ」
と糺した。
「主時盛の所業は全く恥ずべき行いです。時盛は常々、三木家如きが国司に叙任されるなど猿犬英雄を称すの類で噴飯物の所業であると雑言を放つこと一再ではございませんでした。
しかし当家と三木家は永年友誼を取り結んできた間柄。我等は他国の兇徒を領内に引き込んだ主に諫言すべく、館に参じようという者。お味方でござる」
「よし、それなら両名打ち揃って平湯村の武田方に押し入り、死を以て時盛殿に諫言申し上げようではないか」
一度は死を覚悟しただけあって、その興奮も冷めやらず塩屋筑前は言った。
「死を恐れるそれがしではありませんが、犬死になされますな」
そう言って輝盛は塩屋筑前を押し止めた。親子ほども年齢の違う両者であったが、輝盛は若いのに似ず冷静である。
「我等は合算しても百騎あまり。翻って敵方はといえば五千と号する大軍。正面から打ち掛かって勝てる道理がありません。一方で武田の諸侍はといえば、大軍の中に身を置き、このような僻地での合戦を本気で戦おうという者は一人としていないと推察します。しかし敵の士気が低いことを恃みに打ち掛かったとしても、幾人かの敵勢を討ち取ったが最後、彼等は途端に虎豹の如き凶暴性を剥き出しにして我が領内を荒らし回ることは疑いがございません」
「ではどうせよと申すか」
「敵方が誇る剛勇の侍にそれがしが一騎打ちを挑みます」




