永禄江馬の乱(三)
「ご苦労であった」
萩原桜洞城より高原に帰還し、復命のため江馬家下館を訪れた輝盛に対し、時盛は能面のような無表情を示しながら形ばかりの労いの言葉をかけた。
「勅使御一行饗応の宴は贅を尽くしたものにて、空前の祝宴でございました」
輝盛の復命に対して無表情だった時盛は、この言葉を聞いた途端、その表情を不快に歪めながら
「なにが勅使御一行だ。なにが空前の祝宴だ。如何に官位で家名を飾ったとて所詮は飛騨の田舎侍。三木家など守護代の一被官人に過ぎなかった家柄ではないか。遡れば平相国の血筋に連なる我が江馬家にも及ばぬ下賤の身で、なにが国司か」
と毒づき、まるでそれは目の前に伏す輝盛を、良頼に置き換えたような物言いであった。
そして時盛の不快の一端は確かに輝盛に対しても向けられていた。主筋たる時盛を飛び越えて良頼から新たに名を与えられたのだから時盛の不快は当然であろう。いくら三木家から諒解を得る使者が派遣されてきたからといっても、内奥から湧き上がる不快はどうに押さえきれるものではない。
このようであるから、輝盛は江馬時盛名代として勅使御一行饗応の宴に出席するという重責を終えて帰国したにもかかわらず、白眼視されてまるで半敵扱い、家中に孤立することになるだろうことを、輝盛は思った。
しかしこの程度で腐る輝盛ではない。
良頼に言われるまでもなく、元を辿れば江馬時重以来の血筋を引く己が出自を、輝盛は知っている。その輝盛にとって、簒奪者に他ならない江馬左馬助時盛が、永年の同盟者だった三木良頼との間に疑心暗鬼を生じている状況は、惣領家奪還のチャンスと映ったのであった。
「まあよい。不愉快だ下がれ」
散々小言を述べた時盛は重責を果たして帰国した己が名代輝盛に対してあるまじき暴言を吐き、まるで蚊か蠅でも追い払うかのようにその場から退出させた。
時盛の前を退出した輝盛は、次いで広間に入ろうという男とすれ違った。男は見慣れない人物だった。胸元に桔梗の紋が入った素襖を着する姿は明らかに他国からの使者であった。この人物が広間に入り、先ほどの不機嫌を極めた声音とは打って変わって歓談する時盛の声を背中に聞きながら、輝盛は江馬家下館を出た。自らの居城、岩ヶ平城へと帰還するためであった。
道中、輝盛は馬を並べる富信に対して、広間を出るときに桔梗の紋が入った素襖姿の侍とすれ違ったことを話した。
「桔梗の紋ですか」
桔梗と聞いて、富信には何やら思い当たる節があるらしかった。
「近国で桔梗紋を使用している高名の武士といえば、武田家中の飯冨源四郎を知るのみです。或いはその筋の者かもしれませんな」
飯冨源四郎といえば甲斐武田氏の重鎮飯冨兵部少輔虎昌の弟にして武田信玄(永禄二年二月、薙髪し信玄と号するようになった)近習として知られる人物である。最近では他国との折衝にも携わるようになり、俄に名が知られるようになってきた武田の重臣であった。
そんな人物が、一体何用で奥飛騨の高原くんだりまで訪れたのだろうか。
「これは、もしかしたら面白いことになるかもしれません」
富信はにやりと口角を上げながら、口の中で呻吟するように呟いた。
さて桜洞城に勅使御一行を迎えて得意絶頂の良頼であったが、自らの国司叙任など、己が野望の一端に過ぎない。というのは先代直頼の遺言にもあったように、三木家の最終目標は、古川の血を引く光頼に姉小路名跡を継がせ、三木の家名を姉小路古川に置き換えることにあったからだ。良頼がそのように奏請してもすぐには許さず、とりあえず良頼自身を従五位下飛騨守に叙任したのは、小出し小出しに叙位任官して出来るだけ礼銭を搾り取ろうという公家の狡知によるものであった。良頼はそうとは知っていたが、既に自分自身が叙任したことによって光頼の叙位任官に風穴を空けたと信じていたから、この期に及んで礼銭の支払いを逡巡し、後へ引き返すつもりなどなかった。家臣塩屋筑前からの借財を繰り返しながら朝廷と、そして幕府に献金を続けている。
事変は、良頼が朝廷や幕府への献金にかまけている間に発生した。
甲斐武田氏の重臣飯冨源四郎が、五千と号する大軍を引率して安房峠を越えたという凶報が入った。




