国司叙任(九)
そして経盛の傍らに控える河上富信に対しても、
「そなたの御父上、河上中務丞重富殿もまた知将と呼ぶに相応しい戦いぶりであったぞ。そなたは時貞殿の御正室を護衛して時経殿に謀叛を注進したと聞くが、思うにそれも、御家存続を願う御父上重富殿の知恵によるものと推察するがどうか」
真相を過たず見破った良頼に対し、富信はどうこたえてよいものや分からず、ただ冷や汗を流しながらひれ伏すのみだ。もとより良頼も、富信を困らせようというのではない。
「こたえづらいか。まあそうであろう。意地の悪い質問であったな。許せ」
良頼は上機嫌でそういうと、真顔に戻り経盛に向き直って言った。
「そなたの名。経盛の経の自は、思うに御先代時経殿の偏諱と考えるが、そうであるな」
「左様でございます。それがしが元服した折に、時盛様より、惣領家に一層の忠節を尽くせと言う御言葉とともに、この字を拝領致しました」
「やはりな……」
良頼は顎に手をやって何やら思案顔である。そしてはたと思い立ったように口を開いた。
その口から発せられた言葉に、経盛主従は度肝を抜かれた。
「経盛そなた今日を境に常陸守輝盛を名乗るがよい」
賜ったばかりの経の字を早々に捨てることも異例ならば、新たに輝盛の名付けを行ったのが経盛に対して何の指揮命令権も有していない良頼であるということもまた、経盛主従を困惑させる異例の事態であった。
しかも輝の字といえば当代の将軍足利義輝の一字ではないか。
将軍から偏諱を賜るというのであれば正規の手続きによらなければならないが、この名付け、どう見てもたったいま、良頼が思いついて口走ったものである。正式に将軍偏諱を賜った上での名付けでないことは明らかであった。
「面食らった様子だの」
良頼がにやりとして言う。
「はい。経の字を捨てるに忍びなく、また輝の字と申せば大樹(将軍)の偏諱とも勘繰られかねない名乗り。いかさま、面食らっております」
経盛は己が困惑する心情を隠さなかった。ありがとうございますなどと言って軽く賜り、その足で高原に帰れば時盛からどのような仕打ちを受けるか知れたものではない。
そして良頼はその経盛の心情を見透かしたように
「高原には当家からあらかじめ遣いをやって、改名の件は伝えておく。国司たる余から伝えれば、時盛殿とてそなたを咎め立てはすまい」
良頼はこうまで言うと呵々と大笑した。
それはまさに、桜洞城に国司叙任の勅使を迎えて名実共に飛騨国守となった良頼が、権威の面でも江馬家を圧倒した驕慢を示す高笑いであった。
そして経盛は、良頼の執拗な要求を断ることが出来ず、将軍偏諱の僭称ともいえる
「江馬常陸守輝盛」
の名乗りを上げざるを得なかったのであった。




