三カ御所城塁落去之次第(一)
朝廷より飛騨下向の勅使を派遣する旨連絡があったのは、三木大和守直頼の死の約二箇月後のことであった。これによると飛騨下向の使者は、時の権大納言廣橋国光、洛中を飛騨に向け発行する予定が九月十日ということである。概ね一箇月後のことであった。
「父上の存命中に果たされなかったことが悔やまれる」
良頼はそう言ったが、その表情はどこか晴れやかであった。父の望みでもあった岩鶴の国司叙任が遂に果たされるのだから、晴れやかになるのも当然であろう。
朝廷の連絡の使者は良頼に対し、
「いやしくも叙任の使者であるから、路次の危険がないように警固せよ」
と厳命し、良頼はその命をうやうやしく拝領した。
路次警固の命令を拝領してから三木家家中では上を下への大騒ぎとなった。無理もあるまい。守護代の一被官に過ぎなかった飛騨の三木家にはこれまで、家中に勅使を迎えるなどという栄誉に浴したことが一度としてなかったからである。
幸い国内には、頻繁に朝廷と往来を交わしていた三カ御所がある。勅使饗応の経験がある大名にその作法を学ぼうと思えば、それなりの礼銭を準備する必要もあろうというものだが、今や飛騨国内においては三カ御所は押し並べて三木家の組下という情勢でもあり、就中古川家は先代田向重継の横死後、三木家の恩情によって済俊養子を立てられ、存続を許されている事情も手伝って、良頼は古川家当代済堯に対し、
「まもなく洛中より、国司叙任の勅使をお迎えするはこびとなった。無礼の作法があってはならぬ。饗応の手順について遺漏なきよう準備せよ」
と威厳たっぷりに申し伝えておきさえすればそれでこと足りる話であった。少なくとも良頼はそう信じていた。
そして天文二十三年(一五五四)九月十日。
飛騨路を行くのは生年二十九の若き貴公子廣橋権大納言である。衣冠束帯を脱ぎ捨て旅装に身を包んでいるとはいえ、漂う気品斜めならず、山陰に隠れ、普段あまり陽も差さない街道を、その威光によって自ら照らさんばかりに輝いてすら見えるありがたき勅使一行は、あらかじめ付された三木家の侍衆に警固されながら、遂に飛騨国府へと至ったのであった。
面食らったのは良頼だ。
勅使饗応の準備を万端整えていた桜洞城を勅使一行は素通りし、困惑する警固の侍衆を同伴したまま彼等はしゃなりしゃなりと北上を続けたからであった。
「これはどうしたことであろう。さては警固の侍衆が道案内を誤ったか」
当惑した良頼が勅使一行に早馬を遣って、
「道を間違えております。引き返されよ」
と伝えても、廣橋大納言は
「間違えてなどおらぬ。みどもはこのまま国府を目指し、古川城へ入る」
と言うではないか。
警固の侍衆は困惑の表情も隠さず、いったいどちらが案内役か分からないような顔をしながら勅使一行に付いていくよりしかたがない。良頼が遣った早馬の侍も、その勅使一行を無理に引き留め、或いは桜洞城に連行するというわけにもいかず、指を咥えて遠く過ぎゆく一行を見送るより他に身の置き所を知らなかった。
桜洞城では、古川済堯の助言に従って急遽しつらえた饗応の間に宴の膳は調えられ、新国司たる岩鶴がこれを機に「光頼」の名乗りを挙げる元服の儀式も同時に執行される予定であった。
光頼とその母英子、そして新国司の父君良頼は着飾った衣装もそのままに、いつ来るとも知れぬ勅使一行を一日中待った。良頼は古川城での用件がなんらかの事情で長引いているだけなのかも知れぬと考え、日没に至り夜の帳が下りれば大手の門前に煌々と篝火を焚き、勅使一行の来臨を待ち続けた。通常であれば日没を迎えてから人が出歩くとは考えづらかったが、それでも
「綸言汗の如し」
の言葉に喩えられるとおり、一度下されたら引っ込めることが出来ない綸旨の重みを信じる良頼は、翌朝までにこの桜洞城に国司叙任を伝える勅使一行をお迎えするのだと信じて疑わず、門前に篝火を焚き続けて待った。
篝火に薪がくべられなくなったのは、夜が明けて朝を迎えたからであった。
朝とはいっても鮮やかな陽光とは無縁の、重苦しい朝であった。雲は低く垂れ込め、いまにも雨が降り出しそうな曇り空である。湿気が多く、比喩ではなくて本当に空気が重い。
そこへ勅使一行来訪の報せである。
勇躍門前に出て出迎えようという良頼に対し、権大納言廣橋国光本人とも思われぬ一行のうちの一人が、良頼に
「道中警固、まことにご苦労であった」
と、一通の書状を差し出すと、一行はいまにも降り出しそうな雨を恐れてか、そそくさと飛騨を立ち去った。
良頼は呆然とその背中を見送るより他になかった。
良頼が受け取った書面には
小島時親 従四位下、同日(九月五日)左中将
時親息雅秀 (九月)六日従五位上、(九月)廿日右少将
雅秀息時光 従五位下、同日(九月五日)侍従
向貞熙 正五位下、(九月)九日左少将
古川済堯 従五位下、(九月)六日侍従
右、それぞれ叙任す。
龍澤山禅昌寺、天下十刹に加えることとす。
と記されていた。
良頼は手の震えを止めることが出来なかった。




