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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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相次いで墜ちる将星(六)

「何を驚くことがあろう」

 そう言ってのける直頼であるが、驚いて当然であろう。元をたどれば飛騨守護職どころか守護代ですらなく、その一被官人に過ぎなかった竹原郷の三木家が、飛騨随一の勢力を誇るようになったとはいえ国司家の名跡を名乗ることなど出来るはずがなかった。しかも直頼は、いまはその血統を絶やしたとはいえ従二位中納言にまで昇った姉小路古川基綱卿を輩出した名家古川の名跡を継ぐように、いま確かに言ったのだ。

 これには良頼も

「それは……。驚くなという方が無理というものでございます。

 おおかた、亡き済俊なりとし公遺児である英子を母とする、岩鶴にその名跡継がせようというところでしょうが、しかしそれにしても、如何に済俊公の血脈をたどり古川を名乗らせたところで所詮は俄仕立て。国内諸衆の支持を得られるとも思えませぬ」

 と、声を震わせるしかない。


「良頼。そなたよく分かっているではないか」

 直頼はといえば、むしろ満足そうである。

 いかさま、当時進められていた江馬時経の娘月姫と良頼の縁談を陰謀により破壊し、良頼の子をその腹に宿す臨月の英子を、ほとんど押し付けるような形で向家に入れたのは、三木家の跡取りとなるべき男児に、姉小路国司家の血を注入するための直頼の策に他ならなかった。

 無論その当時は生まれてくる子が男児かどうかは直頼をして知り得なかったものであるが、直頼は生まれ落ちてくる子が男児か女児かという二分の一の確立に賭けてこれに勝利したのだ。その賭けに勝った直頼が、いまになって国司家簒奪を逡巡する理由など、あろうはずもない。

 その直頼が続ける。

「それに余は何も、岩鶴が済俊なりとし公の血脈を引くという一事に拠ってのみ古川を名乗れとするものでもない。

 いま朝廷は衰微甚だしく、内裏の築地塀は破れ狐狸が出入りする有様と聞く。ために朝廷では、御公儀(足利将軍)と結託して官途を切り売りしているのが現状である。現に昨年滅びたとはいえ山口の大内義隆公などは、今上帝(後奈良天皇)即位大礼の用途を献じて大宰大弐に昇った例があるではないか」


 直頼が言ったとおり、大内義隆は今を遡ること十八年前の天文三年(一五三四)、今上帝の即位費として二千貫に及ぶ大金を献上して大宰大弐を望み、一度は断られたものの二年後に任官を果たしたことは、献金額の大なると共に広く世に知られた事実であった。その義隆も、昨年(天文二十年、一五五一)重臣陶隆房(晴賢)の謀叛に遭って大寧寺に滅びているが、それは余談でしかない。


「僭称ではなく、実を伴った古川名跡を買い取れと……」

 大内義隆による、所謂猟官運動について聞いた良頼が呻吟すると、直頼は短くこたえた。

「そうだ」

 目が眩むような思いの良頼である。我が子岩鶴が古川の名跡を得るという栄華に酔ったものではない。古川の名跡を得るために、朝廷にいったいどれだけの用途を献上しなければならないものか。その途方もない金額の算盤勘定に酔って生じた眩暈であった。

「その様子では思うに、金勘定を心配しているのであろう」

 すばり言い当てる直頼である。

「左様でございます。大内義隆公が大宰大弐を得るために献じた額は二千貫と聞いております。生なかの額ではございません」

 良頼が口にした危惧は当然であった。山口の大内氏といえば勘合貿易で連年莫大な利益を上げていた日本有数の金満大名だったのである。その大内義隆ですら、二千貫を献じた上での大宰大弐任官を一度は断られているのである。

 山間やまあいの小名に過ぎぬ三木家に準備できる金額など底が知れている。海がなく貿易港など望むべくもない飛騨である。それだけではなく、土地が狭く住まう人が圧倒的に少ないのが飛騨という土地柄であった。遠く上代のころには、あまりに貧しかったがゆえによう調ちょう免除の特例を受けるほどだったのである。

 事実、田畑に課せられる段銭も、人口に割り当てられる棟別銭も、上がってくる税額はたかが知れている。二千貫どころか、当代の大名が押し並べて有する左京大夫クラスの相場、三十貫ですら、三木家にとっては簡単に準備できる額ではなかった。事実直頼にしてからが、左京大夫任官どころか大和守僭称にとどまっているではないか。

 そうやって心配する良頼に、直頼は言った。

「塩屋を取り立てよ」

「塩屋を?」

「そうだ。塩屋だ。いまは士分として取り立てる時宜を得ていないが、余が死ねばこれを士分として取り立てよ。塩屋も喜んで受けるであろう。あれの資金を借りて、古川の名跡を買うがよい」

 そうまで言うと、もはや伝えるべきことは全て良頼に伝え、安堵したと言わんばかりに瞑目する直頼なのであった。


 

 父子の間でこのようなやりとりがあって幾許も経ず、直頼よりも先に、あの小島時秀が卒去したという報せが、良頼のもとにもたらされた。

 享年七十五。当時としては異例の長命であった。

 その最期はというと、自らが弑虐したという(飛驒の人々もそう固く信じていた)古川済継(なりつぐ)済俊なりとし父子の怨霊に怯え、錯乱をきたした上での死だったと伝えられている。


 直頼は時秀の死報に接して引導法語に

「名を公家に受け、三家の長を称す」

「或る時は圓通の門に入り、諸士大士の相を現すが如し。或る時は治国の浴を賜り、坡老祖師の禅を窺うに似たり」

 と記すなど、飽くまで国司家小島時秀による飛騨一統を強調する立場を崩さなかった。


 兎も角も、時秀の死によって目の前の大きなたんこぶは一つ消えた。

 父直頼から散々聞かされてきた

「姉小路嫡流たるみどもが命じる」

 という言葉の魔力。

 それを我が子が発するようになるのか。


 小島時秀卒去の報を得た良頼はもはや、姉小路古川の名跡簒奪についてなんら逡巡するところがなかった。

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