相次いで墜ちる将星(五)
「良頼、罷り越してございます」
良頼が父直頼を三枝城に訪ねたのは天文二十一年(一五五二)夏のことである。既に良頼後継を内外に示して久しかった直頼は、国内の政務執行権のほとんどを良頼に譲り、隠遁に近い生活を営んでいた。したがって政務に忙しい良頼が直頼に面謁するのは久しぶりのことであった。
顔を上げた良頼は、上座に座する父直頼の顔をひと目見て驚いたような表情を示した。
「どうした良頼。余の顔に何か付いているか」
直頼が笑みを浮かべながら言うと、良頼は
「いえ、そうではありません。ありませんが、以前拝謁したころと較べると随分お痩せになり、その面相の変わりように驚いたもので……」
と取り繕うのが精一杯だ。
元々肥満していたわけではなかった直頼がいっそう痩せたことで、頬は痩けて身体も一回り小さくなった様子に、良頼は驚いたのだ。
「さもあろう。余も既に五十五に達した。天命を知る年を越えて、一期を五十年とも六十年ともする人生の晩年に差し掛かっておるのだ。痩せて当然である」
良頼は父のその言葉にまた驚いて
「左様にお気の弱いことを仰せにられますな。この良頼、父上の薫陶を受け日夜政務に勤しんでおりますが、知らないことも多くまだまだ教えを請わねばならぬことが山積みなのです」
と不安な胸のうちを吐露したのであった。
「いや、そなたはよくやっている。余が口を差し挟むことも最早あるまい。
ときに岩鶴と英子は息災か」
「はい。二人とも変わりありません。特に岩鶴は日頃より文を母英子に学び、武を虎豹の如き武臣に鍛えられ、日々研鑽に励んでおります。癇の強いところはなかなか改まりませぬが……」
「それも怜悧なればこその天性というべきものであろう。気にする必要はあるまい。皆息災と知って安心した。
ところで良頼。いみじくもそなたが驚いたように、余の命数もあと幾許かを残すのみとなった。定まれる宿命である。そこでそなたに問うが、余亡き後、この飛騨に三木家に取って代わらんとする家は他にあるか」
この質問に、一瞬どきりとしたような表情示した良頼。しかしすぐに平静に戻ってこたえた。
「いまや飛騨において三木家の優位は絶対的。江馬家は先代時経公のころより我が三木家と手を携える家柄であり、廣瀬宗域も同様。曾ては国司家の威名を恃みに我等に楯突くこと再三に及んだ三カ御所(小島、古川、向)もいまや三木家の威勢を前にひれ伏すばかりでございます」
これが良頼の現状認識であり、それは良頼の独りよがりではなく、多くの人々と同じ考えといえた。そしてそのことを知らぬ直頼ではなかったが、この時ばかりは良頼に対し
「馬鹿者。他の何者ならばいざ知らず、そなたがそのような考えで如何致すか」
と嫡子良頼を久々に叱責した。
老父からの思わぬ叱責に接して恐懼する良頼に対し、直頼は先ほどまでの、或いは怒気を含んでいたといって良い口調から一転、諭すように良頼に語りかけた。
「よいか良頼。我が三木家はそなたの言うように、確かにこの飛騨で随一の家に成り上がった。しかしな、いみじくも成り上がった、という言葉どおり、そのことを快く思わぬ者も実のところ多い。特に三カ御所の被官人にその気風が見受けられる。
王滝村に木曾義元を討ち取るべく飛騨国内の諸衆を束ねた余に、後年楯突いたのはどこの誰であったか」
直頼の問いに良頼がこたえる。
「渡部筑前及び牛丸与十郎でございます」
それぞれ古川家、向家の被官人である。
「それだけではない。八年前の兵乱、そなたも覚えていよう。何者が起ったか」
「江馬常陸守時貞でございます」
「そうであったな。江馬常陸守の如きは、父祖の怨念を晴らすべく時経時盛父子に挑んだものであったが、三木家と盟約を取り結ぶ江馬惣領家に楯突いたという意味においては我等に挑戦してきたに等しい。
斯くの如く余の存命のうちから飛騨は幾度となく戦乱に見舞われて参った。つまり当国に三木家絶対優位の情勢など存在しないということだ」
「そうであればこそ、父上には長生きしていただかねば……」
「安心せよ良頼。そなたには我が舎弟、新左衛門尉直弘や新介直綱、新九郎頼一がおる。余が死んだあとも彼等によく教えを請い、一族固く結束して当たれば恐れるものは何もない。
そして良頼、よく聞け。そなたに命ずる。
汝、国司家古川の名跡を継承せよ」
「えッ! 古川の名跡を?」
良頼は驚きを隠すことが出来なかった。




