相次いで墜ちる将星(二)
時経が言ったように、天文十三年の乱の際、時貞正室お多喜の方の腹にあった子は、今は父時貞の幼名と同じ菊丸を名乗り、河上富信の庇護を受けて養育されていた。
河上富信は、時貞重富主従の謀叛を自ら注進した手柄を以て、自身とお多喜の方、そして菊丸の身の安全を保障されたものであったが、時重、時綱、そして時貞の三代にわたる血を引き継ぐ菊丸の存在それ自体が、死の床にあって命数の尽きつつあるいまの時経にとっては、恐るべき存在に思われたのであった。
「しかしその将来の怨敵も、三木殿との盟約が固く取り結ばれてさえおれば、将来万が一起ったからとてそなたの勝利は疑いがない。三木家との盟約、ゆめゆめ疎かにするでないぞ。三木家との盟約が強固であるうちに菊丸との融和を図り、一族を割って争うようなことは二度としてはならぬ。
我が娘月姫が亡くなって水泡に帰したが、そなたは三木家と縁戚を取り結ぶべく引き続き努力せよ。三木との盟約によって、将来行われるであろう合戦の芽を摘んでおくのだ……」
一人滔々と語る時経。
思い出したように
「聞いておるか時盛」
と訊ねると、時盛が低く、くぐもったような声で言った。
「父上、父上が恐れる怨敵とは……」
「どうした時盛」
「……父上が恐れる怨敵とは、このような顔をしておりましたか」
この言葉に時経が時盛の顔を見ると、そこには時盛ではなく先年討ち果たしたはずの江馬常陸守時貞の姿があるではないか。それは時経がまだ若かったころ、遙か昔の時経の記憶に残る時重時綱父子の面影を宿した、あの江馬常陸守時貞の顔に他ならなかった。
「ひいいッ……!」
時経は恐怖のあまり目を剥き息を呑んだ。
病魔に亡ぼされつつある身とあってはその場から逃げる能わず、ただ目の前の光景を幻と信じて、気が確かになるまではその怨念に満ちた時貞の幻影から目を背け続けることしか出来ない時経である。
なんとかこの恐怖を打ち払おうとして念仏を唱えようと試みるが、その意に反して奥歯はしっかりと噛み締められ、思うように口が動かない。
「う~っ、う~っ」
と、喉奥から呻き声がようやく絞り出されるだけである。
しまいにガリガリッ、という破砕音が時経の顎のあたりから聞こえてきた。次いで、噛み砕かれた歯の破片を血と共に吐き出す時経。恐怖を堪えようと強く噛み締めた奥歯が、死病により脆くなっていたことから荷重に耐えきれず破砕されたものであった。
容態の急変に慌てた侍医が、小姓を使いに遣った。
「大殿の御最期が近い」
と、時盛に伝えるためであった。
時盛は自邸を発して当主の居館に入った。
躍り込むようにして入った奥の間に、白絹の面布で顔を覆われた、父時経の遺体がある。
「突然の御容態悪化で、あっという間にご逝去あそばされました」
侍医が言った。
時盛は父の枕頭ににじり寄って、面布に覆われたその表情を覗いた。
「これは……」
時盛は慌てて面布を父の顔に被せ直した。
面布の下にあったのは、父時経が死に際して味わった恐怖を、周囲の者に伝播させるほど醜く歪んだ表情であった。なるほど凶相とはまさしくこのような顔を指していう語なのであろう。
時盛は怖い顔をしながらこの場の人々に問うた。
「父の顔を見た者はあるか」
人々は或いは顔を伏せ、或いは時盛から目を逸らした。「見ました」という無言の返答である。
「このことはくれぐれも他言無用ぞ」
念を押した時盛に対して、人々はやはり、無言で了承の返事を返したのであった。




