天文十三年の乱(八)
「爺、わしはこの期に及んで一片の悔いもない。物心ついたころより復讐に全人生を傾けてきたわしが三木如きを抜けなんだということは、天がわしを滅ぼそうとしている証拠であろう。これ以上の戦いは無益というよりほかにない。ここらで腹を切ろうと思う」
時貞が重富に馬を寄せていうと、重富は往年の鬼の形相を示しながら
「お戯れを! 勝敗は未だ決してはおりません。自らの御存念で挙兵なされたこのときに至ってかように諦めの良いことで何となさる!
我等には未だ、高原諏訪城監視の兵と、有峰峠に残置した兵があります。それに岩ヶ平城も落とされたとは聞いておりません。諸兵を糾合し城へと落ちて再起を図るべきでしょう。徒に死に急がれますな」
と進言すると、時貞は
「それもそうだ。これまで全力を尽くしてきたわしが、簡単に諦めたのでは我が志に賛同して死んでいった諸兵に面目が立たん」
と思い直した。
そこへ、敵と思しき一団。新九郎頼一より連絡を受けた三佛寺城主新左衛門尉直弘が、落ち延びていく時貞一行の行く手を阻もうというのだ。
「殿は急ぎ岩ヶ平城へと落ち延びられよ!」
時貞に最後まで付き随っていた旗本共が、直弘の手勢と斬り結びながら叫ぶ。
時貞重富主従は背中に味方諸兵の断末魔を聞きながら、たった二騎で岩ヶ平城目指して落ち延びていった。
「開門、開門ッ!」
重富が岩ヶ平城大手門の前で呼ばわる。しかし門の開く様子はない。
江馬時経時盛父子は高原諏訪城に逼塞し、岩ヶ平城に兵を差し向けてくる余裕などなかったはずだ。そのような情報も伝わってはいなかった。しかし城門は固く閉ざされ、城主とその家老を受け容れる様子がない。
「一体どうしたことか」
困惑する主従の前に現れたのは河上富信であった。大手二階門に姿を現したその手には、弓が握られている。
「そこにあるは謀叛人江馬常陸守時貞並びに河上中務丞重富であるな」
富信はそう前置きすると
「そなた等は当主江馬左馬助時経様より累年蒙った御恩顧を忘れ無用の兵乱を起こし、あまつさえ食を止めて無辜の民草を苦しめた。その所業断じて許しがたい。入城まかりならん。どこなと立ち去れ」
と大音声に呼ばわって、手に握っていた弓矢を引き絞りひょうと射ると、矢は時貞の傍らにすとんと刺さった。
主従は馬首を返して更に北へと落ちていくより他なかった。
飛越国境の有峰に至った主従であったが、峠に残置していたはずの味方の兵は既に逃げ散っていた。どうやら敗報は、二人の予想を上回る速度で各方面に伝わったようであった。
「ここらでどうだ」
時貞は全てを悟ったように言った。
「ここ有峰に滅ぶというなら悔いはござらぬ」
先ほどは死に急いだ主の軽挙を戒めた重富も、有峰まで至って感慨深げにそうこたえた。
思えばこの地は、時綱側妾にして目の前にいる時貞の母、小春が宝刀小鴉丸で喉を突き、果てた宿命の地であった。
「それがしとて元々、この地に亡んでいてもおかしくはなかった身なのです」
二十七年前を思い出して、重富の口から自然とそういった言葉が出てきた。
「あれも立派になった」
重富が続けた。
あれ、とは岩ヶ平城大手二階門から自分達に向けて矢を放った息子富信のことを指していた。
幼いころより江馬時経への復讐心を胸に育ってきた富信が、時貞の血脈を残すためとはいえいよいよ挙兵するというその時に至り怨敵に身を転じなければならなかった苦衷如何ばかりであったか。それでも富信は自分に割り当てられた役割を良く理解し、私心を殺して主君時貞に忠節を尽くすべく、却ってその鏃を主君時貞に向けて放ったのである。己が使命を理解した上での見事な振る舞いだったと賞すべきであろう。
「一身はここに潰えますが、愚息の見違えるような振る舞いを見れば復讐は成ったも同然。我等勝ちましたぞ」
そう言って呵々と大笑する重富。
「うむ。どうやらそのようだな。
いやしかしそれにしても爺、愉しかったぞ。挙兵以来二箇月そこそこであったが、逆徒時経時盛父子を高原諏訪城に追い詰めてその心胆を寒からしめただけでも、此度合戦には意味があった。まこと痛快の至りよ」
「それがしも愉しゅうござった。ここまで戦えるとは、正直なところ思うてもみませなんだからな。
冥府にて旧主に見え、時経時盛父子の慌てふためく様を報告申し上げればきっとお喜びになるに違いない」
重富がそう言って時重時綱父子に言及すると、時貞は自らの父祖を思って俄に真顔に戻り、
「そういえばわしは祖父の顔も父の顔も知らぬ」
と言うと、累代の家老はこたえた。
「この爺と共に逝くのです。心配ご無用」
「母上にもお目にかかりたい」
「母君か……。母君は烈女だったゆえ、我等が負けいくさで腹を切った末に冥土に来たと知ればきっと烈火の如く怒るであろう。そうなれば我等、ただ平蜘蛛のように這いつくばってお詫び申し上げ、一切の言い訳は無用……」
重富がおどけたように言うと、二人の笑い声が山々にこだました。
「では、そろそろ……」
重富はそう言うや、やにわに諸肌を脱いだ。これより脇差を腹に突き立てようというのだ。
「お先に御免」
気合いと共に、刃を腹に突き立てる重富。苦悶の表情を圧し殺し、十文字に腹掻っ捌いてみせる。
時貞はその様を検分し、そしてすらりと太刀を抜いて言った。
「見事であるぞ重富。わしもすぐに参る」
時貞はそう言うと一閃、介錯の刀を振り下ろし、家老の首を打ち落とした。そしてたったいま重富の首を打ち落とした太刀に懐紙を巻いて、立ったまま太刀を腹に突き立てた後、真っ赤に染まったその切っ先を今度は喉に押し当てて、そのまま前のめりに倒れ込んで絶命したのであった。




