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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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天文十三年の乱(四)

「注進! 謀叛、謀叛でござる!」

 江馬時経時盛父子が住まう江馬家下館門前に、大音声だいおんじょうで何者かの謀叛を呼ばわる侍がある。騎馬に跨がり、その後に続くのは駕籠曳き数名に護られた乗物(駕籠)ひとつだ。急報に接して大手は開かれ、騎馬侍と乗物が門内に吸い込まれるように姿を消した後は、重い重い大手門が、軋む重低音を響かせながら閉じられたのであった。

「岩ヶ平城主江馬常陸守時貞及びその家老河上中務丞(なかつかさのじょう)重富、挙兵」

 門前の騎馬侍すなわち河上富信より知らされた時盛は驚愕した。

「時貞が謀叛? そのわけは!」

 と問うと、富信は

「常陸守時貞は生来の短慮ゆえに、その祖父及び父が滅びた所以が国司家に弓引いたことの因果応報であることに思慮が及ばず、時経様こそ怨敵などと思い定め逆恨みし、己が居城岩ヶ平城に兵を挙げたものにございます。

 それがしは常日頃より先代先々代が滅んだのは因果応報であると時貞様に諫言申し上げて参りましたが、勘違いも生来の短慮の為せる業と、時経様への言上だけは堪忍して参りました。しかし我が父重富までもが耄碌もうろくして時貞様に合力し、挙兵したとあっては、せめて時貞様御正室お多喜の方様と腹に宿しているお子の命だけはお助け頂こうと思い、斯くの如く言上(つかまつ)った次第にございます」

 と、平蜘蛛のように這いつくばって時経時盛父子への投降を願い出た。

 いまや病床に伏すことが多くなった父時経に代わり、富信からの言上を得た時盛はかかる注進を得て即座に三枝城に使者を派遣した。同城に在城する三木大和守直頼に、危急を報せるためであった。


 その間にも岩ヶ平城に挙兵した江馬常陸守時貞と河上中務丞重富は頻々と手を打っている。永年準備してきただけあってその動きは的確にして速やかであった。

 まず時貞勢は越中と飛騨国中(くになか)の往来を封鎖した。

 これは越中から飛騨国中へ入る物資の流れを阻止し、そういった物資を独占すると共に、そうすることによって江馬時経、時盛父子、延いては国中に在城する三木直頼すらも干上がらせるための、謂わば経済封鎖であった。とても短慮の将の為せる業ではない。

 途端に物流途絶に見舞われた江馬父子は下館を捨てて詰城である高原諏訪城への籠城を余儀なくされる始末である。政庁としての機能を優先して、限定的な防御機構しか持たない下館を捨てねばならぬほど、時貞の攻勢は急であった。

 時経時盛父子は累代の家宝である小鴉こがらすの太刀、一文字の薙刀、そして青葉の笛をそれぞれ抱えて嶮岨の道を行く。落人の哀れな様はいまから二十七年前に有峰峠を目指した旧惣領家一行と同様であった。曾ての逐った側が今日は逐われる側に立ったというわけである。人の世の皮肉の妙は、だいたいこういったところにあるといえよう。


 江馬父子の家人のうちには、この窮状と、過去に相手に嘗めさせた屈辱を意趣返しのように嘗めさせられている屈辱に耐えかねて

「敵将の正室を見せしめとして殺してしまいましょう」

 と進言する者もあったが、時経は病身を引き摺りながらもかかる進言を

「お多喜には富信がついている。そのようなことをすれば富信が黙ってはいまい。外に敵が跋扈する折節、内にまで敵を抱えるは愚策。それに、そのような行いは謀叛を注進した富信の忠義の振る舞いを我等が裏切ることに繋がる。江馬左馬助は懐に飛び込んできた窮鳥を殺したとして人々の支持を失うであろう。

 また思うに、時貞重富主従は三十年近く前に我等が謀叛人時重時綱父子を討ち滅ぼした復讐を挑んできているものと見受けられる。いかさま、お多喜は敵将の正室という立場であり、見せしめとして腹の子共々殺してしまう手もないではないが、これは怨念に怨念を重ねるが如き行いで、当座急ぐべきものでもあるまい」

 と言って斥けた。

 

 逃げる江馬父子の一行に謀叛人江馬常陸守時貞の許を辞したその正室お多喜の方と河上富信が付き随う。

 高原諏訪城は江馬家下館より南東方向、更に南に向かって真っ直ぐ伸びる標高約六百二十メートルの山の尾根に築かれた山城である。詰城として築かれただけあって城に至る道は峻嶮そのもの、身重のお多喜の方にとっては相当にきつい道程であった。かかる辛苦を強要したのが誰あろう常陸守時貞であってみれば、時経の言いつけを守って殺すことまではしないけれども、身重のお多喜の方を扶けようという家中衆は富信以外におらず、両者はまだ冬の清冽な寒さを残す天文十三年(一五四四)三月とはいうものの、汗みどろになりながら山道を歩き、ようやくにして高原諏訪城へと逃げ込んだのであった。

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