天文十三年の乱(三)
「お多喜の方様をお連れして時経時盛父子に投降せよ?」
富信は老父からの思わぬ勧めに目を剥き怒りを隠さない。
しまいには
「父上はわしがなんのために累年武力を鍛えたか、お分かりになっていない!」
と声を荒げる始末である。
しかしそれも無理のない話であった。
時貞同様、いやそれ以上に厳しく鍛えられてきたという自負が、この男にはあった。惣領として起つべき時貞を護る楯としての役割を自覚すればこそ、厳しい鍛練を重ねてきた富信であってみれば、永年我が主と思い定めてきた時貞がいよいよ蹶起に及ぶその時にあって、あろうことかその敵方に転じるなど、あってはならないことであった。しかも来たるべき復讐の時に備えて自分を厳しく育ててきた父がそのように勧めてきたのであるから富信の怒りは当然で、首を縦に振れる類いの話では断じてなかった。
「今日は話にならんようだ。また来る」
重富は富信が勧めに反発して激昂するたびに、同じ言葉を言って子の許を辞する、というようなことを何度か繰り返した。子を説得するにあたり、強引に迫って激論を交わすというようなことを徹底して避けたのである。
このようなことが何度か繰り返されると、富信でなくとも
「今日は話合いにならんようだ」
という父の言葉の続きを聞きたくなるものなのであろうか。
或る日、自室に入ってきた父より
「どうだ。決心はついたか」
という言葉を聞いて、いつもであれば
「父上はくどい。そのような話に耳は傾けませぬ」
と激昂して現下に斥ける富信も今日ばかりは心静かに
「一度、御存念を伺いましょう」
と殊更冷静な物言いである。
重富は言った。
「我が殿は廣瀬左近将監の死を好機と思し召しだ。汝はどう考えるか」
「少し弱いような気がします」
蹶起のきっかけとするには廣瀬左近将監の死はそれほど大きなインパクトを国内にもたらすものではない。弱いというのはそういう意味である。
そのあたりの見立ては、父重富と同じくする富信。
「左様か……」
ふうむ、という溜息が聞こえてくるかのように、顎を撫でる仕草を見せる重富。
「しかし弱かろうが強かろうが、殿が好機到来と思し召すなら飽くまでこれに付き随うのが累代江馬惣領家の家老職を務めてきた我等でございましょう。この期に及んで怨敵に転じるなど言語道断の所業であり、それがしの如きには到底耐え難い行い……」
富信が続けた言葉に、更に考え込む重富である。
どうやら富信とは現状認識を同じくすることが出来そうである。あとは、主時貞に最後まで付き随おうという我が子如何にして説得するか。
そのことに思いを巡らせて考え込む重富。
富信が重富と考え方を同じくしていることは、却ってその説得を難しいものにしているかのように、重富には思われた。富信が現状認識を誤っているというのであれば、その錯誤を正してやれば良いだけの話であったが、富信は現状がこちらにとって不利であると認識していながら、それでもなお時貞に従おうと考えているのである。これは富信が、数値化できる動員兵力やその他いくさの勝敗を決する諸々の要素を度外視してでも、主君時貞に最後まで忠節を尽くすことが自らの使命であると固く信じ切っている証拠であった。
かかる決意を覆すのは容易ではない。それは理屈ではなく、もはや信仰に近いものがあったからである。
沈思黙考の後、重富が口を開いた。なにやら説得の糸口を掴んだものか。
「そなたいま、累代江馬惣領家の家老職を務めてきた家柄と申したな」
「申しましたが何か」
父が飽かずに説得を試みてくることに、次第に苛立つ富信。しかし激昂して声を荒げるようなことはしない。そのようなことをすれば、またぞろ重富が中座してしまうことが、富信には分かっていた。
「汝も現状、決して我等に有利ならずと考えているようで、わしにとってはそれが分かっただけでも得がたい会見であった。これに一つ附言するならば、不利と分かっているいくさに我等こぞって参陣し、戦前の見立てどおりに族滅することが果たして正しいことなのかどうか……」
言い方は控えめであったが、戦う前から敗北に言及するあたり、血気の将には到底受け容れがたい言葉だった。しかし幸い富信はそこまで単純な猪武者ではない。
一応口では
「やってみなければ分かりませぬ」
とこたえはしたが、戦う前から敗色濃厚ないくさを起こした挙げ句、旧惣領家が族滅の憂き目を見ることが正しいことだとは、さすがの富信も信じてはいなかった。
それだけに
「お多喜の方様護衛の任は、父上こそ相応しい」
と切り返して、なおも時貞と馬首を並べて戦陣に立つことに拘泥する富信。
これには同じように申し向けてきた時貞の事例が思い出されて哄笑を禁じ得ない重富である。
「わしは老い先短い身だ。まだ生まれてもいない子の養育を請け負うことなど、どうして出来ようか。命数もさほど残されておらず貫徹できるとも思われぬ。そなた以外に適任の者はない」
と返して、しまいには
「一廉の将であれば目先のことに囚われず、先々にまで策を巡らせるものぞ。斯くの如く敗色濃厚ないくさに参戦して、雁首揃えて滅亡するようでは策なきに等しい。
江馬惣領家累代の家老職を自認するならば、当主個人ではなく御家にお仕えする心づもりをしかと固め堪え難きを堪える、これぞ侍の道」
というと、座する富信は両の拳を固く握りしめて両膝の上に置き、神妙に聞き入るよりほかなかったのであった。




