天文十三年の乱(二)
その江馬常陸守時貞にとって、いまの飛騨国を覆う三木体制に走った疵は、どれほど小さかろうが見逃すことの出来ないチャンスに映った。
「好機到来」
と彼が喜んだのは、廣瀬郷の廣瀬左近将監が遂に病没したという報を得たからだあった。
時貞はさっそく老臣河上中務丞重富に挙兵を諮問したが、この老臣は時貞と我が子富信に累年復讐を説いてきた立場にありながらなお慎重で
「廣瀬如きの病没は好機とは到底いえません。我等の目的は飽くまで江馬惣領家の権を取り戻すこと。そのことを考えれば少なくとも左馬助時経が死ぬまでは待たねばなりますまい。決して早まりなされますな」
と諫言した。
確かに左馬助時経は近年衰弱甚だしいものがあった。放っておいてもあと数年の命のように、時貞にも見える。
しかし自分はこれまでも十分に我慢を重ね、時節の到来を待ったという自負も、時貞にはあった。時貞は言った。
「曾て重富は、江馬正盛が死んだときも富信を制して挙兵しなかった過去があるそうではないか。わしはその折、幼年であったから詳しい経緯は知らないが、そなたは我等に復讐を焚き付けておきながらその実、時経時盛父子に揉み潰されるのが恐ろしいのではないか」
と挑発を交えながら言った。
江馬三郎左衛門尉正盛が死んだのはいまから十八年前、大永五年(一五二五)八月のことであった。当時十八歳だった重富の嫡男富信はこれを好機として挙兵し、江馬惣領家の権を時貞(当時は菊丸)の手に取り戻そうと企てたが、重富はその企てを時期尚早と断じて押し止めた経緯が確かにあった。
「一度ならず二度までも押し止めるか」
この憤懣が時貞の体中から溢れかえって、目に見えるようだ。
(わしは失敗したのかもしれぬ)
憤怒に駆られた時貞の表情を見るにつけ、重富はそのことを思わざるを得なかった。
亡き小春の遺言とはいえ、この世に生を享けた上は、復讐などよりももっと重要なことに人生を費やす道も、この若い二人にはあったのではなかったか。その芽を摘んだのは確かに自分なのである。
「分かり申した。好きになさるがよい。老いさらばえた身とはいえこの重富、殿の企てに合力致す」
と遂に叛乱を肯んじたのである。
しかし……。と続けることも忘れぬ老臣。
「一つ条件がござる。これを飲んでいただかねば合力致しかねる」
「条件とはなんぞ」
時貞が問うと、重富はこたえた。
重富のこたえは
「いま身ごもっておられる時貞様の室、お多喜の方様に、我が子富信を護衛として付し、江馬時経、時盛父子に投降させる」
というものであった。
時貞は驚いた。
正室多喜が、最近ようやく目立ってきたその腹に宿す子が男児であれば、時貞嫡男ということになる。これをあろうことか敵方に投降させよというのだ。悪くすれば人質として利用されかねないではないか。
それに竹馬の友として同じ目的を持って切磋琢磨してきた時貞と富信が、いよいよというこの時に至り袂を分かって一体なんとせよというのか。
その疑念が時貞の口を衝いたが、重富はこたえた。
「よろしいか殿。それがしは廣瀬左近将監の死如き、いまの三木家そして時経時盛父子にとっては取るに足らぬ小さな小さな疵としか考えてござらん。廣瀬如きが病没したからとていまの情勢が我等に有利に傾くとは到底思われぬ。それは先程来申し上げているとおりでござる。
しかし累年亡き殿時綱様の復讐を、殿と富信に説いてきたのは他ならぬそれがし自身でござる。幼年の時貞様を、息が上がって立ち上がることが出来なくなるまで張り飛ばし叩き伏せてきたそれがしのこと。そうまでして復讐を説いてきたそれがしが、殿が好機と思し召すこの時節に際会して挙兵を押し止めようというのでは確かに道理に合いません。
よろしい。先代先々代の怨念をここに晴らすべく、この爺、一命を賭して殿の挙兵に合力致し、最後まで付き随いましょう。
しかし先ほどから申し上げているとおり、それがしは廣瀬の如き軽輩が死んだからとて三木や時経時盛父子との合戦に勝てるという甘い見通しは抱いてござらぬ。敗色は戦う前から濃いと言わざるを得ず、かかる戦役において何の備えもなく敗れ去れば時綱様以来の血統は族滅に追いやられ、復讐の成就は永久に泡と消えましょう。それがしはそのような無策を決して良しと致しませぬ。
御安心召されよ。時経時盛父子が、自らの懐に飛び込んできた御正室を人質に取って卑怯な振る舞いを行う心配は、国内諸衆の支持を失う恐れがあるゆえに、万に一つもござらぬ。またその万に一つの恐れに備えて、御正室に我が子富信を付そうというのです。
いかさま、我が子富信は殿と幼きころより苦楽をともにした竹馬の仲。いま、富信に時経時盛父子に投降せよなどと申しても、あれが素直に肯んずるとも思われませぬが、父であるそれがしが情理を尽くして説得すれば或いは従うかもしれませぬ。
もし富信が説得に応じることなく飽くまで我等と行動を共にするなどと申せば、この爺、金輪際殿には合力致しかねる。この企てもなかったことにしていただきたい」
この重富の言葉に対し時貞は
「多喜は兎も角、富信が時経時盛父子に投降することを肯んずるとは思われぬ。わしのこの期に及んで富信がいない戦陣を踏みたくはない。
重富。そなたが多喜を連れて時経時盛父子に投降するというのはどうだ。生まれた子が男児ならば、我等と同様に養育してもらいたい」
と勧めたが、重富は
「正気か殿は。わしを幾つと思うておられるか。この老い先短い爺が、曾ての鬼の重富の如く、まだ生まれてもいない、男子か女子かも知れぬ殿の子をどうして養育出来ましょう」
呵々と大笑して一顧だにする様子がない。
「兎も角も富信の説得はそれがしにお任せあれ。挙兵を嫌って説得を疎かにするような真似も決して致しませぬ。その点、御安心召されよ」
重富は胸を叩いて請け負ったのであった。




