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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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天文十三年の乱(一)

 初陣を華々しい戦勝で飾った江馬常陸守時貞はしかし、懊々として愉しまぬ日々を送っていた。江馬家の協力を得て三木直頼は日夜肥大化し、いまや大和守を僭称して飛騨随一の勢力に成長してたからである。翻って国内諸勢力の様相といったらどうだ。

 まずは三国司家のうちの古川家。享禄四年(一五三一)に小鳥口おどりぐちで滅亡した経緯は前述のとおりである。いまは小島時秀末子を亡き済俊なりとし公の養子などと称して迎え、家名を復活させはしたが、既に古川の名は形骸化して久しく、小島家そして三木直頼に良いように扱われる家になり果てていた。

 その古川の乗っ取りに成功した小島家も決して日の目を見ているわけではない。ろう公家くげ小島時秀は健在であったが、曾て良いように利用していたつもりの三木家は、名実共に小島家を凌いで、その意向一つで小島家の興廃も定まる時勢とあっては、時秀とて三木家の御機嫌取りに奔走せざるを得ず、国司家嫡流の威勢は見る影もなく衰えていた。そのあたりの事情は古川家とさほど違わない。

 更に向家はといえば、曲がりなりにも反三木の気骨があった宗熙むねひろが亡くなって後は、跡を襲った貞熙さだひろも直頼の策謀の前に無力であり、その要望するところに従って唯々諾々と英子を家中に迎え入れざるを得なかった経緯は前に記したとおりである。これではまるで名義貸しだ。前二者同様に三木家に良いように扱われる立場に変わりはなく、向家が主体になって三木家に叛旗を翻す目は全くないといって良い情勢であった。

 廣瀬郷に根を張る廣瀬左近将監はこのころ病気がちで、床に臥せることが多くなったらしい。そうでなくとも廣瀬といえば、早くから三木家と気脈を通じ、血縁関係こそないけれども、否、血縁関係がないからこそ、いまや三木家の家中衆の一ともいえる立場になっていた。三木家べったりで、当面は離叛するような理由も気配も見当たらない。


 そして江馬家である。


 廣瀬左近将監同様、当代左馬助時経もこのころ病臥することがとみに増えた。もともと月姫の死によって三木家嫡男良頼との婚儀が流れたあたりから塞ぎ込むことが多くなった時経のことである。一昨年(天文十一年、一五四二)十月に証如のもとを訪れるべく上洛して以降、長旅が祟ったのか目に見えて体調が悪化し、この頃は特に衰弱甚だしい。

 己が体調の悪化を自覚してか、嫡男時盛への権力移譲は緩やかながら順次行われており、このままいけば後継者時盛による江馬家継承は盤石という情勢であった。

 本来の江馬家正統、江馬時重、時綱に連なる時貞にとって、それは許すべからざる由々しき事態であった。

 永正十四年(一五一七)、高原殿村の江馬家下館に滅んだ正統江馬家の血を引く自分こそが、江馬惣領家の地位を取り戻さねばならない。時貞にとって、江馬惣領家の権を自身に取り戻し、道を正しくすることは、彼自身が幼いころから知らず知らずのうちに刷り込まれた人生の宿題というべきものであった。


 老臣河上中務丞(なかつかさのじょう)重富はことあるごとに、母小春の最期を時貞に語って聞かせたものであった。

 累代の家宝を奉戴しながら越中有峰への逼塞を余儀なくされた逃避行の道中。一門譜代のことごとくが江馬惣領家の恩顧を忘れ逆臣正盛時経父子に靡くなか、元をたどれば下賤の身でしかなかった母小春が亡き父時綱に最期まで忠節を尽くし、自ら喉を突いて果てた悲運の物語。母は時綱の仇討ちを重富に託し、重富はその願いを果たすために、まだ幼かった時貞(菊丸)を連れ、恥を忍んで江馬正盛に赦免を願い出たのである。


 全ては、惣領家の地位をこの時貞の手に取り戻すためであった。


 なので時貞にとって、飛騨国内の情勢が日々三木家優位に推移していくことは、到底容認できないことであった。三木家が強勢を誇ってある限り、その後援を受けた時経時盛父子を破って時貞が江馬家正統を取り戻すことは、不可能に等しいといわざるを得ない。


(この上は、国内の不満分子が旗を揚げる僥倖を恃みに蹶起してみるか)

 とも考える時貞である。

 そんな時貞の脳裡に、志野比しのびに逼塞して滅ぼされた牛丸与十郎の故事が浮かぶ。

 あれも窮して挙兵し、結局各個撃破されて討ち滅ぼされたものではなかったか。そう考えれば、軽々に兵を挙げても叛乱の勢いは燎原の火というわけには決していかないだろう。

(では、諦めるか)

 という考えが一瞬浮かび、ひとりかぶりを横に振る時貞。

 自分はなんのために生まれてきたか。自分が江馬惣領家の地位を取り戻すために、母は死んだのではなかったか。そのために、自分はこれまで必死になって武力を鍛えてきたのではなかったか。

(諦めてはならぬ)

 時貞には、老いたりとはいえ人生の宿題を与えた河上重富が付いているし、その子富信もある。特に富信はともに重富に張り飛ばされながら切磋琢磨した竹馬の友である。年は一回り近く離れてはいるが、辛苦を共にした兄弟同然の仲であった。家中に孤立しているというのは自分の勝手な思い込みに過ぎない。


 復讐の志を共にするこれら股肱を恃みに、時節到来を辛抱強く待ち続けることだ。


 時貞の考えはいつも、このように一周回って元のところに戻ってくるのであった。

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