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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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東濃出兵(五)

 江馬常陸守(ひたちのかみ)時貞という人物の登場にあわせ、ここにいくつかお断りしておきたいことがあって、この節を設けたことをお許し願いたい。

 博識の読者諸氏にあっては既に一読されて「おや?」と思われた向きもあるかもしれない。「常陸守ではなく常陸介ひたちのすけの誤りではないか」というご指摘である。


 曾て我が国に広く律令制が敷かれていた上代、律令国のうちの大国三カ国即ち常陸国、上野国、上総国は親王任国とされた。親王任国の制度は、桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇と続く皇統三代が子だくさんで、そこかしこに溢れかえる親王に与えるべき官職の不足を補う目的で定められた応急の措置であったという。

 無論これなど皇統に連なる者に相応しい官職を付するための名誉職的色彩が濃いものであり、実際に親王が任地に赴いて政務を執るということはなく、現地での政務は国司四等官のうちの次官、即ち「すけ」が執るのが通例であった。


 つまり「常陸守」「上野守」「上総守」は皇族にのみ許された官職だったのである。


 律令制は時代が下るにしたがって制度疲労を来し、次第に有名無実化していくことになるのだが、国司職をはじめとする律令の官職は、受領名として当代の侍連中が「百官名」とか「東百官」という形で名乗ることが当たり前になっていった。

 これら実体の伴わない国司職等の僭称が当たり前になった時代であっても、前記親王任国三カ国については「守」ではなく「介」の名乗りが慣例として残ったようである。現代の我々は、甲斐守護職武田信虎の軍使として有名な荻原常陸介や、少し時代は下るが元禄赤穂事件で四十七士の敵役となった吉良上野介の名乗りにその例を見出すことが出来る。

 しかし如何に当代の人々とはいえ、インターネットはおろか、百科事典のようなものすらなかった時代のこと、親王任国の制度について皆が押し並べて知っていたということでもどうやらなかったようなのである。というのは、の織田信長が「上総介かずさのすけ」を僭称していたことは広く知られた事実であるが、実は信長は当初、上総国が親王任国であり同国の長官は皇族に限られるという事実を知らなかったらしい。迂闊にも「上総守かずさのかみ」を僭称する錯誤を犯してしまい、後になって慌てて「上総介」に改めた形跡が認められるのである。


「甲陽軍鑑」や「江馬家後鑑録」といった軍記物には、もう少し後代の人物にはなるけれども「江馬常陸守(ひたちのかみ)輝盛」なる人物が登場する。また、ずっと後の史料にはなるけれども、宝暦十年(一七三〇)の「三郡神社仏閣除地明細記」には、江馬家累代の菩提寺である園城寺の開基について


元禄八年亥年ヨリ二百年已然江馬常陸守(ひたちのかみ)開基


 即ち明応四年(一四九五)に「江馬常陸守」が園城寺を開いたことが記されている。


 織田信長の例に見るまでもなく、親王任国の国司職の名乗りは当代の人々でも間違えることがあったのであり、「甲陽軍鑑」や「江馬家後鑑録」、或いは「三郡神社仏閣除地明細記」に記されたように、江馬家の人物が「常陸介」と名乗るべきところ、誤って「常陸守」と名乗っていたと考えてもなんの不思議もない。

 本作ではこれらの記述を採用して「常陸守」としたのであって、筆者が勘違いして誤っているわけでは決してなく、その点あらかじめご了承願いたいというのが一つ。


 今一つは、江馬時重、時綱、時貞の三代については、全く架空の人物であるという点である。

 飛騨出身の郷土史家岡村守彦氏はその著書「飛騨中世史の研究」のなかで、永正江馬の乱について


江馬氏がこの敗戦によって受けた打撃は甚大だったはずである。さもなくば、過去の伝承の全てを失う事態は起こり得ず、それが起こった時期がこの時代(永正十四年、一五一七)以外に考えられないからである。

(※カッコ内は筆者註)


 と考察されており、江馬家の系図が混迷を極める原因を永正江馬の乱による家伝の喪失に求めておられる。

 本作は岡村氏の見解に従い、江馬家が永正江馬の乱で家伝のほとんどを喪失したと仮定して、江馬家の正統をこの架空の三名に託して物語を進めている。


 どれだけ考察が行き届いた作品であっても、歴史小説とは所詮架空の物語なのであって、そこには作者の主観や思い込みが、程度の差こそあれ多少は混入しているものである。そしてそれこそが歴史小説が真に史実たり得ない所以なのであるが、しかしそれにしても、史実の事件に仮託してその主要人物を全くゼロから創出するというのは、並外れて罪深い作業といえはしまいか。もしかしたら江馬時重、時綱、時貞といった人達は実在の人物だと勘違いする読者が出てくるかもしれないからだ。飛騨中世史を題材にとったニッチな作品なら尚更である。

 人を騙す罪深さを自覚すればこそ、この一節を特に設けたものである。

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