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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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東濃出兵(三)

 三木家本貫地益田郡から荒城郡は高原殿村に向け、急使が一騎。その懐に書状が一通携えられている。

「三木家からの御使者」

 江馬家下館の番兵が告げると、左馬助時経は痩せ細った身体を引き摺るようにして三木家が放った急使と面会した。

 急使は手紙を差し出しながら言った。

「美濃守護土岐頼芸(よりのり)様の御諚により、大桑おおがへ出頭することとなりました。援兵を賜りたい」

 直頼からの援軍要請である。


 昨年、三木家が郡上に出兵した経緯は前述のとおりだ。

 この郡上出兵では、直頼は証如の要請に従って遠藤・野田両氏と戦い、そしてこれを打ち破ったものであったが、これは直頼が遠藤・野田を殊更敵視したものというよりは、直頼が本願寺勢力との関係を重視した結果であった。

 飛騨の諸勢力が、地理的要因や信仰の面で、よりつながりの深かった本願寺勢力に合力した事情は、土岐氏側にも理解できるものだったのだろう。そもそも美濃守護の統制に服する義務がない飛騨勢が本願寺側に付いたからとて、そのことを咎め立てる権利が頼芸にはない。

 頼芸は飛騨勢との和睦を求め、その条件として自らの居城である大桑城への出頭を求めた。これに応じ恭順の意向を示しさえすれば、昨年の郡上出兵で敵対したことについては水に流すという頼芸側からの暗黙の打診である。


 このころ、亡き政敵土岐頼武遺児次郎頼澄と和睦してこれを美濃に復帰させていた頼芸は、諸方との和睦を広く望んでいた。昨年の郡上出兵以来疎遠になっていた三木家とも本格的に和睦し、潜在的な政敵である頼澄との間で将来行われるであろう抗争に向け、布石を打っておきたい肚が、頼芸にはあったようだ。

 ただそれは美濃守護職としての面子を重視したものでなければならなかった。如何に頼芸が望んだ和睦とはいっても、自分が頭を下げるような形式を取ってしまっては国内諸衆に対して求心力を失うだけである。要するに頼芸自ら望んだ和睦でありながら、三木家に頭を下げるように求める、というのが頼芸の思惑であった。

 なんとも厚顔無恥な言い分ではあるが、かといってこれに従うことなく飽くまで敵対し続けることを選んだとして、三木家が土岐氏相手に独力で抗し得るかとなると、それはまた別の話といわなければならなかった。頼芸は確かに、国内に政敵を抱え込んでいる弱味があったが、それでも美濃守護職土岐頼芸の大軍を受ければ、飛騨一国を傾けても勝利は覚束ないだろう。


 郡上戦勝という過去の栄誉と刺し違える気は、実利主義者直頼にはなかった。


 かといって唯々諾々と大桑に出頭し、飛騨国内諸衆に対して好んで求心力を失いたくない事情は、頼芸と同じくする直頼である。

 そこで直頼は、出来るだけ多くの兵を募り、飛騨勢の武威を大いに示した上で大桑に出頭することを画策した。より具体的にいうと、頼芸に対して敵対的立場を取る東濃の久々利氏を、出頭道中討伐することを企てたのだ。頼芸は飛騨勢の手柄と武威に瞠目し、いよいよこれを重んじることになるだろう。

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