東濃出兵(二)
「なんと……」
返す言葉を失う狂阿弥。
直頼によれば、婚儀の話は慶事であるから他国に向けて大々的に宣伝したけれども、娘御の死に接して左馬助時経殿の落胆は大きく、その心情を慮れば、姫の死と、それによって婚儀が流れたことを、これまで大っぴらに出来ないでいた。貴殿等能楽師の一行がこの飛騨に至ったのも、我等が江馬の娘御の死を秘匿したからであろうが、江馬家では間もなく亡き姫の百日忌法要を迎えようとしており、そのような時節に我が領内で能楽の興行が行われたと聞けば、時経殿の心情を害することとなろう。興行を許可するというわけには参らぬ、ということであった。
狂阿弥の一行は直頼から真相を聞いて納得した。街の雰囲気がひたすら昏く沈み込んでいたのはこのためだったのだ。
「そうですか……。やむを得まへん」
傍目にも痛々しいほど肩を落とす狂阿弥。
その落胆を見かねたのであろうか。直頼の傍らに控えていた小姓が口添えした。
「大殿。差し出がましゅうございますが、せっかく能楽の一座がこの山深い飛騨国を訪れたのです。次にこの者どもが飛騨を訪れるとなると、どれだけ後のことになるか想像もつきませぬ。そこで、ここは考えようなのですが、亡き月姫の菩提を弔う一助として、この者どもに法楽という形式で興行を執行させてみてはいかがでしょう」
純然たる能楽興行ではなく弔いとしておこなう法楽興行ならば、慰霊のためでもあり江馬家の心情を害することもなかろう、という意見である。
「法楽……とな」
これには直頼もしばし考え込む様子である。
その直頼の様子を見て狂阿弥は翻意に期待したが、次に直頼が言った言葉は、狂阿弥の期待を満足させるものではなかった。
「いや、やはりここは興行を打つべきではなかろう。小七あたりは法楽として興行を執行すれば良いと申すが、それでは問う。
当家においてこれまで法楽に類する能の興行を執行した実例はあるか」
この問いに、小七と呼ばれた小姓は口を噤んでしまった。そのような例を小七は知らないのであろう。
「能楽師の一行が偶然領内を通りがかったからといって、今までやったことのない法楽興行を執行したとあっては、それとてあたかも作り物のように見え、時経殿の心情を害することになるは必定。許可するというわけにはやはり参らぬ。
とは申せ小七。昼夜別なくわしに近侍して気の休まる暇もない汝の気苦労を知らぬわしでもない。安心せよ。落ち着けばいずれまたこの一座を領内に召し寄せ、次こそは能楽を執行させることをここに約束しよう。
狂阿弥一座に申し付ける。今申したとおり、この時節、我が領内で能楽を執行することまかりならぬ。しかし遠国よりはるばる我が愚息の婚儀挙行を聞きつけて馳せ参じたそなた等を無下にあしらう当家でもない。なにぶん急な応接ゆえにそなた等を満足させられるか、甚だ心許ないが、引き出物を持たせることとしよう」
そういうと直頼は、この急な来訪者を応接するために小七を急遽接待役に命じ、引き出物を準備させた上で湯漬けを振る舞ったという。
全部で二十数名の一座は、それぞれ三木家より茶器や贈答用の刀、小袖等の衣類を手渡され、腹をいっぱいに満たして飛騨国をあとにした。
一座の先頭を行く狂阿弥は満足であった。
「黙阿弥、そなたが手に持ってるもんはなんや」
「茶器でございます」
「来て良かったやろ」
「……」
ばつが悪そうに黙り込む黙阿弥。今度は黙阿弥が、狂阿弥の言葉が聞こえないふりをしなければならない番であった。
狂阿弥は続けた。
「腹いっぱいになって、ぎょうさん引き出物貰て、しまいには次の興行の約束まで取り付けることが出来たわ。此度の飛騨興行は大成功や」
飛騨興行はさながら狂阿弥の一人勝ちの様相を呈し、誰一人として抗弁できない一行なのであった。




