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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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同盟の亀裂(五)

 西曲輪にひっそりと住まう英子の腹が日に日に大きくなるにつれて、あれだけ活発だった月姫が病臥することが多くなったことに、良頼は不審を禁じ得ない。思えば月姫の不調は、父直頼から月姫宛に祝の酒が届けられたあたりから続いているもののように思われる。


 鞠のように跳ね回る軽快さは失われ、以前からその若さと活発さを象徴するもののように濃かった眉の黒々とした様は、今は蒼白の顔貌をいっそう際立たせるだけである。

 不意に月姫を襲ったこの病はしかし、活発さによって隠れがちだった月姫の美貌をくっきりと、これ以上ない形で浮き上がらせる結果となったことは皮肉としか言いようがない。

 見舞いの枕頭に座する良頼の

「しっかりせよ。婚儀までには必ず良くなるよってに」

 という言葉が、他ならぬ良頼自身から見ても虚しく感じられるほどの衰弱ぶりだ。月姫自身もそのことを自覚しているものか、良頼の励ましに対しても力なく首を横に振るのみである。


「最後にお願いがあります」


 月姫が息も絶え絶えに切りだした。

「最後などと。なんだ。言ってみよ」

「祝言を挙げとうございます。父が、父が強く望んでおられたゆえ……」

「祝言か。分かった。何とか段取ろう。それまで死ぬでないぞ」


 良頼は父直頼の許はもちろんのこと、雪深い道を高原まで足を運んでは祝言執行の段取りを自ら組んだ。

「月は幸せ者でござる。このような雪深い道を、我が娘の願いをお聞き届けいただくために幾度も往来なされて……」

 左馬助時経はそう言ったきり絶句した。

 良頼が諸方を駆けずり回ったことにより、祝言の日取りは天文九年(一五四〇)正月二十七日と決定した。


 当日、厳粛な雰囲気の中で祝言は執行された。

「四郎次郎良頼と月姫の婚儀はここに成立し、両家の交わりはこれまでにも増して深くなった。両家は手を携えて、あらゆる難局を乗り越えていくことが出来るであろう」

 三木直頼は祝言の席でそう発言し、時経を大いに喜ばせた。

 月姫が亡くなったのは、その日の晩のことであった。生きる支えと心に定めた祝言を無事執行し終えたためであろうか。贈られた法号は


  月江宗光げつごうそうこう大禅定尼

 

 というものであった。

 月姫の死に接して良頼の嘆き悲しみようはひととおりではなかったという。しばらくは食事も喉を通らず、痩せ細って周囲の者を心配させた。


 その良頼が、普段はどちらかといえば柔和な表情を、このときばかりは固めて直頼の許を訪れたことに、直頼自身も思い当たる節があった。しかし直頼には直頼の正義があってやったことなのだ。なのでなんと詰られても直頼は嫡男相手に一歩も退かぬ覚悟であった。それが証拠に、訪ねてきた良頼が何事か口を開く前に

「汝の言いたいことは知っている。わしは江馬家とのつながりと国司家の血筋とを天秤にかけて、国司家の血筋を選んだだけの話だ」  

 と告げた。

「ではやはり父上が月を……」

 殺したのか。

 良頼がそう続けようとしたところを直頼が挫いた。

「これしか方法がなかったのだ。これ以外にどうすれば良かったというのだ」

「……」

「放っておいても英子の腹の子は日に日に大きくなっていく。子はいずれ遠からず生まれる。

 汝はわしを責め、詰るつもりなのであろうが、その前にひとつ問うておく。

 汝なにゆえ英子を犯したか」


 そう言われてしまえば返す言葉のない良頼である。確かに直頼からは常々、古川の流れを汲む英子には手出し無用であると言い聞かされていたし、江馬家の月姫との婚約は、幼少のころより聞かされ知っている話であった。そういった事情を知りながらなお、獣欲の赴くままに英子を犯し、孕ませたのは他ならぬ良頼自身の所業であった。


 しかし、そうは言っても……。


 英子と良頼を桜洞城に残したまま三枝城に一冬を過ごしたのは直頼であった。もし本当に英子に手を付けさせまいと思うのならば、英子を三枝城に帯同するか、その冬は三枝在城を良頼に命ずるかすれば良かっただけの話ではないか。そうすることもなく、ただ言葉の上で

「英子に触れてはならぬ」

 と言い聞かせるだけで、あとは自由にすれば良いとでも言わんばかりに三枝城に引っ込んだのは直頼であった。これでは何も手を打たなかったに等しい。間違いは起こるべくして起こったのである。要するに直頼はこうなることをあらかじめ見越していたのだ。

 もとよりそれは良頼の憶測に過ぎず、父を問い詰めたからとて

「はいそうでした」

 などというこたえが期待できる代物でもない。

 良頼は直頼に言い伏せられる形で、父の許を辞するより他に身の置き所がなかった。

(良頼が英子を手込めにすることも、月姫の死も、全て思惑どおり)

 直頼が肚の裡で呟いた言葉を、自身の耳に聞いたような感覚に襲われる良頼なのであった。

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