同盟の亀裂(三)
生年十四の娘、月姫を桜洞城へと送り、いまや飛騨三木家最大の盟友ともいえる地位に立った江馬左馬助時経を、いいようもない不安が時折襲う。
盟約を結んで久しい三木家は、飛騨国内はもちろんのこと、ときには木曾、ときには郡上へと打って出て、いまや飛騨を代表する大名へと成長しつつあった。内外に三木直頼の勢力を脅かす存在はなく、盤石そのものの支配体制が出来上がろうとしている。
(狡兎死して走狗烹らる)
創業の功臣が粛清される事例など古今枚挙に暇がない。この悪夢が、時経の頭から離れないのである。
(婚儀を急がねばならぬ)
時経は来年に予定されているその日まで、一足飛びに時日が過ぎてくれはしないだろうかと、痛切に、ありもしないことを願っていた。
それほどまでにこいねがう我が娘月姫と三木家嫡男四郎次郎良頼との婚儀である。時経は折に触れ三枝城或いは桜洞城まで下向しては、婚儀の打ち合わせと称して直頼との面談を重ねた。
気懸かりは、先年の姉小路古川滅亡に際し三木家が生け捕った古川の姫である。
「然るべき時期が到来すれば、いずれかの家に返戻する予定である」
直頼からはその身柄について、常々そう聞いてはいる。しかし古川滅亡から既に八年もの歳月が流れていたが、古川の姫の身柄が姉小路国司家のいずれかに返戻されたとは寡聞にして聞かない。
時経は今日こそ、良頼の許に嫁す月姫を心配する心持ちもあって、古川の姫の身柄について直頼に確かめなければならなかった。
「しつこいようでござるが……」
左馬助時経は直頼と面会してこのように切り出し、
「ときに古川の姫は、いずれの家に返されたか」
と訊ねた。
直頼は面会に訪れた時経が、並々ならぬ決意に基づいて今日ばかりはこの問題を先送りにしないという決意のもと、三枝城まで下向してきたことを看取したが、
「当家だけの問題ではなく、受け容れる側の都合もござっての。頭を悩ませているところです」
と言を左右にしてはぐらかすばかりだ。
要するに、姫の身柄を姉小路国司家に戻したいのは山々であるけれども、それも受け容れる側の都合如何だという理屈である。
「古川が小鳥口に滅びて八年が経ち申した。何年経てば受け入れ準備が整うのでござろう」
などと言ってみても、
「それは先方次第でござる」
と返されるのが関の山である。
時経はいつも、こうやって直頼にはぐらかされて、言質を取ることが出来ないでいた。
だが古川の姫が存在することによって時経の心を覆う不安も、桜洞城にあって婚儀の日を待ちわびる娘の姿を見れば和らごうというものである。
時経が顔を出すたびに、その胸に飛び込んでじゃれつく娘だ。幼いころより高原殿村の野山を兄時盛等と駆け回り、高原川の清流に遊んだ姫は活発そのもの、鞠のように跳ねる姿は幼いころと何も変わらない。
時経はそんな月姫の仕草を見て
「これ、飛んだり跳ねたりしてはしたない。いつまで経ってもそんなふうでは良頼殿に嫌われようぞ」
と言葉の上では咎め立てするものの、相好を崩してむしろその元気な様子を喜んでいるようですらある。
月姫もそのような父の存念を知っているかのように、
「良頼様はそんなことは少しも考えておいでではありません。跳ね回るほど元気があってそなたが羨ましいと常々仰せですわ」
と返すのであった。
時経は、古川の姫の身柄について、毎度直頼から希望する返事を得られないまま、月姫の元気な様子をよしとして高原殿村ヘと帰還しなければならなかった。
良頼と月姫の婚儀がいよいよ近付いてきたころのことである。
三佛寺城主新左衛門尉直弘は、兄直頼が在城する三枝城へと登城した。桜洞城の西曲輪で養育していた英子が、腹に何者かの子を宿したらしいとの情報をその耳に入れるためであった。
直弘は英子にまつわる断片情報を直頼に報告した最後に、
「桜洞城の西曲輪などに自由に出入りできる人物といえば、それがしには一人しか思い浮かびません」
と意のあるところを附言した。
「そなたもそう考えるか。わしも同じ意見だ」
直頼は発生してしまった事態に困惑を示すこともなく、冷静に言ってのけた。まるでこうなることを予想していたかのようであった。
冷静な直頼の発言に、直弘は却って焦った。
「兄上。鷹揚に構えている場合ではございませんぞ。良頼殿と月姫の婚儀は間近に迫っております。この話が噂となって江馬左馬助殿のお耳に入ればえらいことになりますぞ」
直弘が示す危機感も尤もなことで、良頼が月姫との婚儀を前に他家の女を孕ませたとあっては江馬家が不快感を示すことは当然考えられる事態だった。
如何に一夫多妻が当然だったこの時代であっても、子を成すには時宜というものがある。時宜を得ず諸方で子を成すような挙に及べば、これより血で結ばれようという三木家と江馬家の紐帯も危ぶまれるというものである。
直弘の危機感は、そのことを指して言っていた。
「それもそうだが慌てるな直弘。この始末はわしに任せよ」
直頼はそう言ったきり、あとはだんまり。
直弘は兄の考えを邪魔立てしてはならぬと、その前を退出したのであった。




