同盟の亀裂(一)
直頼が本拠地としたのは、三木家発祥の地である益田郡上呂の桜洞城である。
城の名を冠してはいるが、もとをたどれば守護代多賀家の被官に過ぎなかった三木家のこと、その規模は、城というより並の武家屋敷と表現した方がしっくりくる簡素なものであった。
それが俄に拡大し始めるのは直頼の代に至って後のことである。但しその拡大は、守護、守護代或いは国司家を凌ぐまでに勢力を伸ばした驕慢に則ってのことではない。飛騨諸国人の盟主として、相応しい規模の政庁を構える必要に迫られたからであった。もっと有り体に言ってしまえば、国人諸衆から徴した人質を住まわせるために、城郭の拡大が必要になったのである。
人質という語感からすると、さぞかし酷い扱いを受けていたのではないかと思われがちであるけれども、人質がそういった酷い扱いを受けるのは、その人質の出身母体である国人が三木家に対して弓引いたそのときだけの話であって、そういった変事でもなければ人質生活というのは、やや窮屈なくらいで、普段は衣食住を保障された安穏たる生活、というのが実態であった。
人質を徴する三木家にとっても、その扱い一つで諸衆の向背が左右されることなど百も承知の事実なのであるから、普段は下にも置かぬ丁重な扱いをしているというのが本当のところであった。
そんな人質達が集住する桜洞城二の丸西曲輪の一角に、他の人質とはその生まれの血筋が全く違う人物がひっそりと暮らしている。この、人質たる女性の出身母体姉小路古川は、先年おこなわれた享禄四年の戦乱で廃絶し、いまや三木家がこの女性をぞんざいに扱ったとしても、どこの誰からも文句を言われる筋合いのない、なんの影響力もない一女性に過ぎないと余人なら考えただろう。
ただ、従二位中納言姉小路古川基綱卿に連なる血筋は、いまやなんの影響力も無いからといって、その身をぞんざいに扱うことを他に許さない高貴を湛えていた。直頼がこの女性に格別の屋敷を与えて養育したのはそのためであった。
幼いころに引き合ってからというもの、折に触れ面会するたびごとにえも言われぬ雅やかな風情を日増しに帯びていく姉小路古川英子の姿に、良頼は圧倒されるばかりである。
いま、良頼はその英子が住まう桜洞城二の丸西曲輪、通称「奥殿」へと足を運んでいた。
「ようこそおいでくださいました」
良頼には、そう言って出迎えてくれた英子が眩しく感じられる。
これまで子供だとばかりに思っていた英子が、初潮を迎え成年に達したころから、俄に艶やかさを帯びたことに、良頼は困惑を隠せないでいた。しかもこの女性は、その身の隅々に至るまで余さず姉小路古川の血脈を流しているにもかかわらず、それでいて飾ったところがひとつもない。幼いころ、父直頼の手引きによって引き合ったころと何も変わりがなく、屈託のない笑顔で良頼を出迎えるのが常であった。
ほんらいであれば良頼は、今日このとき、なにも二の丸まで下って英子と面会する必要などありはしなかった。それがこうやって英子の顔を見ずにいられなかったのは、荒涼としてささくれ立った心持ちを、この女性に慰めて欲しいと思ったためであった。
身をかすめる矢弾や、その鋭い切っ先をこちらに向ける幾筋もの鑓。その全てが、間違いなく自分を殺すためのものであった。相手を殺さなければ自分が殺される過酷な戦場に在って、良頼は周囲の手助けもありながら敵の何人かをその手にかけた。
飛び散る返り血をその身に浴び、怨みの籠もった敵兵の断末魔をその耳に聞いた良頼である。
郡上においてそのような血生臭い戦場の実相を目の当たりにした良頼が、英子との面会に救いを求めたことを、良頼自身恥じる気持ちはない。
いつもと同じように笑顔で良頼を見詰める英子を、良頼は今日ほど眩しいと思ったことはなかった。




