郡上出兵(七)
諸人力を合わせて突き掛かってくる様に、良頼は恐怖を覚えた。打刀を抜いて構えたが、刀の柄を握っている実感がない。恐怖のために力が抜けているのだ。
敵の徒士侍が良頼に向かって鑓を突き出した。何とか打刀でこれを弾いてその穂先を躱しはしたが、同時に良頼自身も得物を手放してしまい、芝(戦場)にありながら徒手になってしまった良頼。
鑓を弾かれた敵の徒士侍は自身の打刀を抜いて、良頼に斬りかかる。
その敵を突いたのは家老大前備後守の鑓。
「ぼんやりなされますな!」
老臣が叱咤する。
「これをお使いなされませ」
得物を失った良頼に、大前備後守が自身の打刀を差し出す。良頼はこれを受け取った。
馬首を返して、なおも押し寄せる敵の一団と激しく干戈を交える大前備後はじめ馬廻衆。新介直綱も責任を感じてか、必死になって得物を振るい、敵を追い散らそうと懸命だ。
「良頼殿、なにをぼうっと突っ立っておいでか! 敵を追い払われよ!」
荒い息に紛れ込ませて直綱が叫ぶ。
「は……はい!」
良頼はこの戦場に達して初めて、大きな声を出した。
するとどうだろう。
先ほどまで自分をがんじがらめに縛っていたような恐怖心が、大声と共に少し薄れたような気がした。大前備後からもらった打刀を握る手に、初めて力が籠もる。
「うわあぁぁぁッ!」
気合いと共に馬上から一閃振り下ろした打刀は、敵の兜の鉢を強か叩いて失神昏倒させた。
「なかなかの太刀筋ですぞ」
敵と斬り結びながらも直綱は良頼から目を離していないものか、その奮闘を湛えるように励ました。
だが前に進むより他に道がない敵勢は怯むことなく続々と三木勢に押し寄せる。
良頼にとっても、そして直綱にとっても、本陣の飛騨勢が駆け寄せてくるまでの時間が、永遠にも思われるほど長く感じられた。
そこへ、見慣れた味方の旌旗。
三木勢の危急を聞いた白川照蓮寺や内ヶ島勢も、力を合わせてこちらへと押し寄せる。
「やった! 勝ったぞ!」
眼前の光景に思わず歓喜の声を上げる良頼。
そのときである。良頼の傍らに、不意に転がった人影がある。誰かと思えば大前備後である。見れば首筋に深傷を負い、血だらけになって息も絶え絶えだ。
「良頼殿、ご油断召されるな」
そこへ直綱が駆け寄せ、良頼の身代わりとなった大前備後を突いた敵兵を討ち取ってしまった。
「じい、しっかり致せ!」
良頼が騎馬を降り、身代わりとなった大前備後を扶け起こそうとする。
「ゆめゆめ、ご油断召されるな……」
絞り出すように言ったこのひと言が、大前豊後守の最期の言葉となった。
結局最後の最後まで動かなかった安養寺勢を差し置いて、戦場に雪崩れ込んだ飛騨勢は、各々合力して遠藤・野田勢の決死隊を撃退したのであった。
決死隊を撃砕した飛騨勢の勢いを借りて、鷲見・畑佐勢は関所を封鎖する遠藤・野田勢を打ち払った。
ここに、郡上郡と越前の封鎖は遂に解除されたのである。
「申し開きようもございません」
戦後、直頼が在城していた三枝城に帰還した新介直綱に、凱旋将軍の風はなかった。それどころかまるで、敗戦将軍のように青ざめた顔をしながら直頼に向かって詫びた。
「戦前から聞いて知っていた郡上郡の情勢をよく飲み込んでおれば、安養寺が動かぬという事態は十分予見できたこと。事実そうなったものであり、御曹子を危機に陥れ、あまつさえ家老大前備後守を死なせてしまったのはそれがしの不明。どうか切腹をお命じ下され」
自軍に被害が出る恐れがなかった合戦で、少なからぬ被害を発生させてしまったことで、直綱は責任を感じ憔悴しきっていた。戦前に胸を叩いて良頼の安全を請け負ったにもかかわらず、安易に前線に乗り入れてその身を危険に曝してしまって責任が、直綱には確かにあった。
直綱の過失は良頼を討死の危険に曝したことにあった。三木家家老大前備後守は一命を賭してその危険を救ったのである。
「直綱はこのように申しておる。如何に処すか良頼」
直頼は良頼に直綱の処断を委ねる発言をした。
この嫡子が、どのような決断を下すか。それを見極めようというのだ。
「おそれながら申し上げます。それがしは生きております」
自分は死ななかった。なので叔父の責任を問うべきではない。良頼は言外にそう言ったのである。
その言葉に直頼がこたえる。
「汝の命を救うために大前備後は死んだのだ。それでも直綱を赦免するか」
「大前討死の責を負うべきは戦場で油断したそれがしです。それがしが油断して隙を見せなければ、大前が死ぬということはなかったのです。その大前の死の責任を、叔父上に押し着せるというわけには参りませぬ。もし父上が叔父上に切腹をお命じになるのであれば、それがしも大前討死の責任を免れませぬゆえ同じく切腹を賜りとう存じます」
良頼の言葉を聞いた直頼は大きく頷きながらこたえた。
「いみじくも申したり良頼。もし汝が大前討死の責を直綱に押し付ける発言をしたならば、わしは容赦なく汝を打擲する肚であった。死地に立ったとはいえ、否、死地に立ったからこそ得物を振るい奮闘するは武士としての当然の心構え。いかさま、援兵の到着に心を許したのは良頼、汝の責任である。
ともあれ此度の一乱は我等の勝利に帰した。大前の死は惜しむべきであるがもとより戦場の露と消えるは武士の定めである。大前家には跡目を立てることを許し、備後守と同様の地位を保障することとする。誰彼が責任を負うべき話でもあるまい」
と、直綱及び良頼の責任については赦免する発言をしたあと、これまでとは打って変わって俄に怒気を発し、
「それにしても安養寺実了よ。
本願寺の末寺でありながら証如上人の要請に叛き、あまつさえ我等を死地に置きながらなお干戈を動かさなんだ所業は断じて許しがたい。
右筆はあるか!」
と呼び寄せると、早速証如に宛てて抗議の手紙を認めて発送している。




