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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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郡上出兵(五)

「見事な武者ぶりであるぞ」

 鍬形くわがた立物たてもの猪目いのめを穿った六十二間小星兜に、金の小札を色とりどりの糸で結んだ金本小札色々威六枚胴具足を着する四郎次郎良頼の初陣姿に、父直頼の喜びようはひととおりではない。


 ほんらいであれば三木家嫡男の初陣は父直頼と共に踏むべきものであったが、叔父新介直綱を大将とする郡上派遣軍に加わって初陣の芝(戦場)を踏もうという所以は、ひとえにこの合戦における圧倒的優位が戦前から確実視されており、良頼身辺に危難が及ぶことは万に一つもあるまいと考えられたためであった。


 半年前、三木家一行が証如の招請に従って上洛した際、四郎次郎良頼は辺り一面に漂う死臭のために悪心をもよおし、吐き戻したものであった。直頼はそんな嫡男の弱気を叱責しはしたが、いざその子が初陣を踏むに際しては、やはりその身が心配だったのだ。

 勝利が確実視されている合戦を初陣に選んだのも、塩屋善右衛門に発注した新品の具足のうち、ひときわ華美な一領を良頼に与えたのも、全ては三木家跡取りたる四郎次郎良頼の身の安全を考えてのことであった。

「兄上、御安心召されよ。この新介直綱が付いてあるうちは、四郎次郎殿の御身辺に危難が及ぶことは万に一つもござらぬゆえ」

 頻りに心配を口にする直頼に対し、王滝村合戦以来の勇士新介直綱は胸を叩いて直頼の安全を請け負ったのであった。


 一方そのころ。

 この度の郡上一乱に接して、証如側に立って参戦することが確実視されていた安養寺九世実了のもとには、難しい問題が持ち込まれていた。敵対する遠藤新兵衛入道及び野田左近大夫から赦免を望む旨の書面がもたらされていたのだ。


 そもそも此度、当方が路次を封鎖したのは、御屋形様の御下知に従ってのことであり、累年交わりを重ねてきた御坊に対して遺恨あろうはずもない。むしろ鷲見すみ畑佐はたさが御屋形様の御下知に叛いたことこそ怪しむべきおこないである。当方としては、此度一乱は不本意の極みであり、堪忍賜りたい。


 とする内容であった。

 御屋形様とは、このころの美濃守護職土岐頼芸(よりなり)を指している。土岐頼芸も、急速に教線を拡大させていた当時の一向宗に対し警戒心を抱いていたのであろうか。或いは一向宗と対立する立場を取る近江六角定頼の要請を受けて路次を封鎖したのかもしれない。

 土岐頼芸の立場がどうであれ、文中にあるように遠藤も野田も、抱える諸衆に一向宗門徒は多く、累年安養寺と深く交わってきた家柄であった。

「郡上御坊」とも称された一向宗の一大拠点、安養寺を預かる実了としては、赦免を申し出てきた門徒、遠藤新兵衛入道及び野田左近大夫を無下にあしらうことも出来ない苦しい事情があったのである。

 しかし如何に実了が苦しい立場にあったとはいえ、法主証如の要請を受けた白川照蓮寺や内ヶ島兵庫助氏利、そして三木新介直綱が、それぞれ軍兵を引率して続々と郡上に集結しつつある情勢下、その思惑一つで

「遠藤・野田は和睦を懇望している。合戦はなくなった。帰ってよろしい」

 などと決定できる権限が実了にはそもそもない。

 第一、「御屋形様の御下知に従って」遠藤・野田両氏が封鎖している路次は未だに通行不可の状態が続いたままであった。これでは収まるものも収まらぬ。

 窮した実了は遠藤新兵衛入道及び野田左近大夫に対して路次封鎖を解除するよう返事を出した。その使者より

「路次封鎖が解除され北陸との往来が旧に復せば、法主(証如)とていたずらに合戦を望まれるようなことはございますまい」

 とする口上を聞き、遠藤も野田も困ったような顔を見合わせて陣所の奥へと一旦引っ込んだ。

 実了の使者は随分長く待たされた。次に両名が姿を見せたとき、遠藤新兵衛入道は

「残念ながら路次封鎖は御屋形様からの御下命であり、当方で勝手に解除するというわけにはいかぬ。兵を差し向けられたからとて封鎖を解除するというのであれば守護の権威などあってないようなもので、御屋形様が肯んずるとも思われぬ。御坊の苦しい立場は理解できるが、なお譲っていただきたい」

 と苦しげな表情を隠さずに言った。

 遠藤・野田は一向宗門徒であるのと同時に美濃守護職土岐氏の統制に服する存在であった。今回、遠藤・野田と敵対することとなった鷲見すみ畑佐はたさも立場は同じであり、遠藤・野田は美濃守護職の統制に服し、鷲見・畑佐は一向宗門徒として証如の檄に応じたというのが、対立の構図だったのだ。

 このことからも分かるとおり、そもそも実了をはじめとする郡上の各勢力が起こそうと企てて起こった一乱ではないのである。誰も彼も、お互いがお互いを憎いと思って兵を挙げたわけではないという事情が、今回の一乱の解決を却って難しいものにしていた。

 証如や六角定頼、土岐頼芸といった各地の実力者の思惑が、この郡上郡を舞台として発火したに過ぎなかった。それが、この度の一乱の本質だったのだ。所詮実了の手による事態収拾など、端から不可能だったのである。

 実了は自らの意に添わぬ形で進展しつつある一乱の調停を諦めねばならなかった。

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