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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第一章 三木直頼の雄飛
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郡上出兵(二)

 直頼は正直なところ、国司家姉小路三家が、各々飛騨国内に有する郷村の領有にこだわる理由について、理解できないでいた。

 曾て律令制がこの国に広くおこなわれていた上代、飛騨国は朝廷より、調ちょう或いはようといった租税を免除される特例措置を受けていた。それほど貧しい国と目されていたのだ。自他共に認める下々の国が、飛騨という国であった。

 また鎌倉幕府執権北条義時が、折り合いの悪かった江馬小四郎輝経を追放し、江馬家が土着したその流刑先こそ飛騨高原だったとする「飛騨国治乱記」等軍記物の記述は信ずるに値しない俗説ではあるが、その江馬家発祥にかかわる伝承にあるように、飛騨という国は、時代によっては流刑地として選ばれるような辺境の地であった。

 公家連中にとっての主たる活動場所である洛中からみれば遙かに遠隔であり、確かに往来の道は拓かれてはいるが、距離が長いだけあって道中の危難は多い。


 要するに、上がってくる租税をアテにするにしても、土着して自活するにしても、いずれをとっても大を成しがたいというのが飛騨の国情だったのである。


 竹原郷に本貫地を持つ直頼も、我が故郷のことながらどう贔屓目に見ても貧しい飛騨の国情を否定することが出来ない。それだけに、飛騨に在国して国内を引っかき回す公家連中が、何故この国を出て行って帰洛しないのか、今日この時、京洛の光景を目の当たりにするまでは不思議で仕方なかった。


  なれや知る 都は野辺の 夕雲雀

  あがるを見ても 落つる涙は

 

 応仁文明の大乱に接し、戦火に焼かれた洛中の荒廃をこう詠んで嘆いたのは、八代将軍義政の祐筆を務めた飯尾彦六左衛門尉ひころくさえもんのじょうであった。


 その大乱が終熄して既に六十有余年。


 時の本願寺十世法主証如の招請に応じて大坂本願寺ヘと至る道中、京洛に立ち寄った直頼直綱兄弟等三木家一行の眼前一面に拡がるのは、飯尾彦六左衛門尉を嘆かせた洛中の荒廃も斯くやと思われるほどの焼け野原だ。

 法華宗と延暦寺の間でおこなわれた宗教問答に端を発して、下京の全域と上京の三分の一を焼け野原にしたという、所謂「天文法華の乱」から一年と数ヵ月。洛中の荒廃ぶりに一行は目を背けるばかりである。

 比較的焼損軽微な木材を結ってようやく建つ掘っ立て小屋に人々は住まい、直頼一行の姿を見るや、その掘っ立て小屋の住民どもは、痩せた身体に垢まみれのボロ布をまとい、欠けた茶碗を差し出しては

「お恵みを、お恵みを」

 と、銭か食かは知らぬ、何ものかを望んで乞いすがってくるではないか。

 彼等の唯一の頼りはといえば、杖代わりに手にする、炭化していまにも折れそうな木材ばかりという有様だ。


 これが地方の郷村の人々であれば、如何な侍連中相手といえども各々隠し持った得物片手に力尽くで身ぐるみ剥がそうという豺狼の如き野心を隠さないところであるが、度重なる戦火に焼け出された哀れな京洛の人々には、もうそんな気力さえも残されてはいなかったのである。

「寄るでない! ええい汚らしい!」

 直頼の身辺を警固する侍衆が打刀を振りかざし大声で威嚇すると、幽鬼の如き人々は茶碗や杖を放り捨てて掘っ立て小屋に逃げ戻った。

  

 あとには静寂。

 死臭は終始、あたりに漂っている。

 時折吹く風に砂塵は舞った。

 曾て栄華を極めたという、これが洛中の街区か。


「餓鬼道と修羅道とを、一度にこの目に見たような気さえします」

 直頼と馬を並べて進む新介直綱が、青ざめた表情で言った。

 直綱は、荒廃のために満足に食を得ることも出来ず痩せ細った人々を餓鬼、その荒廃を京洛にもたらした争いを修羅道に見立てて言ったのである。


 衆生しゅじょうを六道(人々が生前の業に従い輪廻転生するという六つの境涯。最下層より地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六界を数える)の苦しみから救うことこそ御仏の教えの要諦ではなかったか。


 だが眼前に拡がる光景といったらどうだ。

 苦しみから救うどころか、宗派が異なるとはいえその仏教勢力同士が相争うことによって、却って京洛に住まう哀れなこれら衆生を、生きながら六道のうちの二に叩き落としてしまったこの皮肉!


 直頼は眼前に拡がる焼け野原を見渡して即座に理解した。

 姉小路三家が何故飛騨の如き小国と知って頼みとするのかを。

 何故彼等が飛騨在国にこだわるのかを。


 飛騨の人々から憧憬の念を持って見られる京洛の実態がこれでは、要するに帰洛しようにも出来ず、維持管理に労力を要するからとて郷村支配を手放すわけにはいかなかったのである。

 下々の国よりももっと酷い光景が、そこに拡がっていた。これこそ、姉小路三家がそれぞれに郷村支配にこだわった理由であった。


 不意に、四郎次郎が跨がっていた馬から下馬した。道端にしゃがみ込んで吐き戻している。

「臆したか! 四郎次郎」

 直頼からの叱責を前に恐懼する四郎次郎。

「申し訳ございませぬ父上。終始鼻をつく死臭に悪心をもよおし、つい……」

 四郎次郎が、若く整った顔を不快に歪ませ、袖口で口許を拭いながら言った。

 確かに眼前に拡がる光景は、曾て江馬時重、時綱父子滅亡の地を巡検しながら、直頼が思わず吐き戻しそうになった江馬氏下館の焼け跡を遥かに上回る惨状であった。

 しかしだからといって、飛騨諸衆の盟主たる三木家嫡男が、死臭で悪心をもよおし吐き戻すような弱気を人々に見せて良いと考える直頼でもない。

 馬上にあって打刀うちがたなをすらりと抜く直頼。高々とこれを掲げて怒号した。

「起てよ四郎次郎! 諸衆をしてわしの跡は続かぬと思わしめてはならぬ。そのような弱気でなんとするか」

 直頼の怒号は、下馬して吐き戻す四郎次郎にまたぞろ群がりつつあった幽鬼の如き乞食どもを、再び掘っ立て小屋へと追い返したのであった。

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