享禄の乱(五)
そのころ新左衛門尉直弘率いる大野衆は、古川勢が古川蛤城を捨てて白川郷へと逃げ込もうとしている動きについては知らなかったが、そういった動きがあるにせよなかったにせよ、兵は拙速を貴ぶ、未だ功の久しきを観ざるなりの喩えどおり、古川蛤城へと抜ける間道を遮二無二驀進する直弘。
その直弘の目に、古川蛤城から脱出しようという一団が見える。直弘はその一団が白川郷へと逃げようとしている高綱一行だとはつゆ思っていない。ただ攻撃目標の城から脱出しようという一団を敵と見定めてその背後から猛然襲い掛かるのみであった。
鬨の声が響き、古川一党の後尾は忽ち阿鼻叫喚に包まれた。干戈相打ち血飛沫がそこかしこに飛び散る。
「早うお逃げなされ」
渡部筑前が青い顔をしながら高綱や亡き済俊の遺児である姉弟を乗物(駕籠)に押し込めるようにして乗せる。僅か十数名の駕籠ひき等と共に逃れた高綱一行であったが、味方に足留めされているとはいえ敵は日本国中にその名を知られた飛騨の大黒を駆る軽騎兵だ。逃げに逃げた一行も、遂に小鳥口にて大野衆に捕捉されてしまった。
数を減じた味方の諸兵が防戦に回っている間に、渡部筑前と姉小路高綱、そして済俊遺児姉弟は森の中へ姿を消した。自死するつもりなのだ。
「古川の名を再び挙げること能わず、野末の土と消えることは返すがえす無念です。それがしの不明、お詫びする術もございませぬ」
頭を垂れて絞り出すように言う渡部筑前に対して
「田向の家を継いで在京のうちに生涯を終えるものと思っていたが、父兄の歿したこの飛騨の地にて我も歿するこれぞ因果と申すべし。
この上は冥府にて父上と兄上に見えることのみが楽しみでおじゃる」
というと、喉に脇差を突き立ててその場に突っ伏し絶命した。
高綱の自死を見届けると、筑前は済俊の遺児である男児を呼び寄せた。古川累代の誇りに賭けて、この場で刺し殺してしまおうというのだ。呼び寄せられた男児は渡部筑前の前にちょこんと座った。男児はこれまでなにくれとなく面倒を見てくれた渡部筑前に対する、一片の疑念も抱いてないもののように見えた。
渡部筑前によって抱き寄せられる男児。その背中から覗き出たのは、先端を赤黒く染めた脇差であった。
男児を刺殺し、その刃の先端を、今度は姉である女児に向ける渡部筑前。弟同様この場で刺し殺そうというのだ。
しかし、そこへ。
「なにをやっているか!」
駆け込んできたのは新左衛門尉直弘であった。筑前が残置した防戦の殿軍を突破して躍り込んできたものであった。
「邪魔立てするな!」
怒号する渡部筑前。一閃、脇差を女児に向かって繰り出す。
直弘は手鑓の柄で強かにその手を打ち脇差を叩き落とすと、得物を失った敵将渡部筑前をあっと言う間に鑓の錆として討ち取ってしまったのであった。
青ざめた顔でその場に佇立する以外身の置き所を知らない姫君。
見れば、十そこそこの幼年。
幼年ではあるが、古川家累代の血を引いた高貴の趣は、その相手が刃を突き立てたり引っ捕らえてぞんざいに扱うことが出来るような軽い存在ではないと思わせるに十分であった。
直弘は思わず下馬してその前に折り敷いた。
「御安心召されよ。身の安全はこの三木新左衛門尉直弘が保障致します」
直弘は済俊遺児である姫を伴って帰陣した。
さて自らの挙兵が古川勢の蹶起を促すと信じて起った牛丸与十郎であったが、斯くの如く圧倒的に優勢な三木家大野衆の前に古川家は滅亡し、これによって向家が牛丸与十郎を赦免する目も完全に失われた。
「このうえは憎っくき三木直頼の陣に討ち入って、華々しく散ろうではないか」
牛丸与十郎一党は互いにそう誓い合って、僅かに十数騎がそれぞれの得物を手に志野比へと押し寄せた三木勢へと討ち入った。
死を覚悟した牛丸一党を前にして直頼率いる益田郡の一党は遠巻きにこれらを囲むだけで、なかなか一番鑓を付けることが出来ない。そこで三木諸兵はこれら動き回る牛丸一党に向けて頻りに矢を射かける策に転じた。これには剛勇を以て鳴る牛丸一党も次第に数を討ち減らされ、もはやこれまでと覚悟を決めた牛丸与十郎は口に脇差を含んで頭から落馬し、喉を刺し貫いて自死を遂げた。
牛丸与十郎の挙兵に端を発する血生臭い戦乱はここに終熄したのである。




