享禄の乱(三)
「開門、開門ッ!」
小鷹利城大手門の門外から牛丸与十郎が大音声に呼ばわる。
緒戦で敗退し、退勢を覆すことが出来なくなった牛丸与十郎が次善の策として本城への籠城策を選択するのは当然の成り行きであったが、しかしどうしたことか小鷹利城の大手は、与十郎の要求に応じて開門する気配がない。
「如何した! 開門せよと言うに!」
与十郎の怒号が虚しく響く中、大手二階門にたった一人の侍がこたえた。
「ええいうるさい、これより宗熙公の御諚を伝達するよってにその耳かっぽじってよく聞け牛丸与十郎。
汝いやしくも国司家の兵を私し、無為に干戈を動かした所業断じて許し難し。どこなと立ち去れとの御諚よ!」
この声を合図にしたかのように、城内からはどっと笑い声が起こった。
耳を疑ったのは牛丸与十郎だ。
そもそも今回の戦役は、渡部筑前ら古川家中衆と打ち合わせを重ね、向家、古川家が連合した上で、小島時秀に対して起こしたいくさであった。牛丸与十郎が国司家(向家)の兵を私した云々は、緒戦に敗退し、危難をいままさに小鷹利城に持ち込まんとしている与十郎を退けるための附会に過ぎぬ。
哀れ牛丸与十郎は累代主君として仰いだ向家当主に見棄てられたのである。
「小癪なり、そこを動くな!」
与十郎が怒りを湛えて放った矢は二階門から雑言を浴びせた侍の眉間に突き立てられた。
文字どおり一矢報いた与十郎は本城への籠城策を捨てて、僅かな供廻と共に志野比へと落ち延びるより仕方なかった。
「戦勝の勢いを駆ってこのまま小鷹利城を攻め落とし、志野比に牛丸与十郎を族滅致しましょう」
そのように積極策を主張するのは牛丸又右衛門を一騎討ちに討ち取り、一番手柄間違いなしの新九郎である。
新九郎は声に力をこめて続けた。
「志野比の牛丸与十郎を討たねば将来に禍根を残すこととなりましょう」
新九郎がそのように進言したのも無理のない話であり、また新九郎に言われるまでもなく、向家と、そして牛丸与十郎を討ち滅ぼす好機と知らぬ直頼ではない。
ただ雑説を流布させて今回の戦役を惹起せしめた古川家中衆は古川蛤城に健在であり、これを放置したまま小鷹利城或いは志野比の砦へと押し寄せれば、背後を古川家中衆に衝かれかねない危険も承知の直頼である。直頼はそういった古川家の動きを警戒して、小鷹利城や志野比に攻め寄せることが出来ないでいた。
そこへ駆け込んできたのが向家からの使者である。
国司家の威厳を殊更前面に押し出してはいるが、当主宗熙からの伝言として直頼に伝えられたのは
「牛丸与十郎は国司家の兵を私して私戦を起こしたものであり、当家は与十郎の詐術に遭って兵を貸した立場に過ぎぬ。彼の者が起こした合戦については、当家はなんら与り知らぬ」
という卑屈な弁明であった。
「先年来当家に対して無礼の振る舞いがあった牛丸与十郎であるが、主家より見放されたとあってはそぞろ哀れを禁じ得ぬ。
兎も角も、向家が古川家中衆と結託して今回の戦役を起こした証拠を当家は未だ掴んでおらぬ。古川家への対処を怠ることが出来ない現下、小鷹利或いは志野比に攻め寄せるは下策である」
直頼がそう告げると、新九郎などはあからさまに不満そうな表情を示した。
直頼は
「そう起こるな新九郎。
安心せよ。与十郎が小鷹利城に復帰することは今後にわたり有り得ない話だ。もしそのようなことをすれば私戦に及んだ与十郎を当家に断りもなく向家が赦免したということになる。そうなれば、攻撃される口実を当家に与えることになりかねない危険を知らぬ宗熙公でもあるまい。牛丸与十郎は志野比に逼塞したまま動けない立場に陥ったのだ。いまや恐るるに足らず」
と諭して、新九郎の不満を躱したのであった。
そう言って斥けはしたが、新九郎の積極策に理のあるところを知らぬ直頼ではない。
家督相続以来国内に歴戦し、木曾との合戦では王滝村まで出張って敵将を討ち取り、もはや飛騨国内に並ぶ者のない実力者となった直頼。飛騨随一の実力者であることは明白なのに、牛丸与十郎のように三木家に楯突こうという者が絶えないことは、確かに直頼にとって頭痛の種であった。彼の如きは今後にわたって陸続と出現し続けることになろう。先が思いやられる話であった。
(或いは国司家簒奪か……)
そのような考えが一瞬脳裡に浮かぶ直頼。
「姉小路嫡流たるみどもが、そちに命ずる」
飛騨随一の実力を誇る直頼が、この言葉の持つ魔力を前に何度ひれ伏してきたことだろう。小島時秀のような哀れな老人でさえ、ひとたびこの言葉を口にしたときには、無条件でこれに従わねばならないような錯覚に陥ってきた直頼である。
(我等の実力に、国司の威名が加わったなら……)
現下、世は下剋上の真っ只中であった。
時の室町殿(足利義晴)ですら、家臣団の内紛に巻き込まれて近江朽木への動座を余儀なくされている世情であり、その力の源泉ともいえる官途吹挙の機能を果たせないでいるではないか。固く禁じられているはずの直奏が、いまや当たり前の世の中になっていた。
いまさら直頼が国司家の名跡を簒奪したからとて、一体誰に、そのことを咎める権利があるというのだろう。
ただし、それをやるとなると多額の資金を必要とする。産業といえば林業が主で、それに付随する匠の技は日本国中に抜きん出るものがあった飛騨の諸衆であるけれども、猟官運動に投じることが出来る資金的余裕は未だない。
(余計な算段を打たず、地道に実力を養うことこそいまは肝要……か)
直頼の考えはいつもこのように一巡して元のところに帰ってくるのだ。いつかこの堂々巡りを脱する日が、我が三木家に訪れるだろうかと思う直頼なのであった。




