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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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盛者必衰の理(五)

 父休安の署名が入った矢文は、さっそく松倉城内に射込まれた。いうまでもなく金森長近がでっち上げた降伏勧告の書面であった。でっち上げたとはいうものの、降伏さえ申し出れば助命と家名存続を近衛このえ前久さきひさが取りなすというのだから、条件としては悪くない。


 秀綱は鍋山城から逃げ込んで合流した季綱すえつなに、この書面を示した。

「父からの降伏勧告だ。これによると既に三木家の城は全て陥落し、飛騨国内にひとり松倉城を残すのみとある。越中からの後詰望むべくもないいま、勝敗は決したも同然であり、そうなったうえは姉小路古川の名跡を後世に遺すことこそ肝要。意地にこだわらず降伏せよ、とある」

 兄の諮問に対して季綱は、

「偽書でしょう」

 と即座に答えて続けた。

「近年の父の様子から考えれば、この書面にあるように理路整然と我等に降伏を勧められる思考能力が残っているとも思われませぬ」

 というのが、偽書と断じた理由であった。


 しかし書中にあるように、国内の支城を全て失った松倉城が後詰を望めないことはもはや明らかであった。これと恃んで与党した佐々成政も富山城に逼塞を余儀なくされており、城を出てくる気配がない。

 たしかに松倉城の堅固を恃めば十日や二十日の籠城は可能だろうが、ではそのあとはどうするのか。

 籠城戦で時間を稼ぐ目的が味方の後詰を待つためのものであってみれば、越中軍や国内の支城から救援が見込まれぬ以上、無駄な戦いということになる。降伏、開城以外に道がないことはいまから明白だ。

「いかさま、偽書には違いない。しかし落城は免れぬところである。城を明け渡そうと思う」

 という秀綱の言葉に対し、季綱は両膝の上に置いた拳を固く握りしめて俯いた。暗黙の了解であった。

 秀綱は続けた。

「身どもは家康殿を頼って信州へと落ちる」

「家康殿を?」

 驚いて鸚鵡返しに返す季綱に、秀綱は言った。

「この文書、たしかに父が書いたものとは思われぬほど理路整然と我等に降伏を勧めておる。その点、父の名を借りて記された偽書には違いなかろうが、富山からも、国内の各支城からも後詰のないところを見ると、松倉城が国内に孤立しているという状況に偽りはないものと思われる。無用にいくさを長引かせれば、人々は苦しみに喘ぐであろう。これが開城を決意した所以である。

 しかし偽書と知って敵に降り、縄目を受けたそのあとになって近衛公にお取り成しをと叫ぶ醜態を身どもはよしとしない。

 城は開くが敵には降らぬ。それが身どもの決断である」

 

 もし秀綱が、当代の他の大名と同程度に場数を踏んでおれば、領国を捨てて他国へ落ちる、という選択肢をとることにいま少し慎重だったかもしれない。

 生まれながらにして公家としての身分が保障され、国司たるに相応しい帝王学を学んできた秀綱には、

「為政者とは飽くまで人々の代表に過ぎず、決してほしいままに権力を行使して良い特別の存在ではない」

 という考えがあった。

 そのような教育を叩き込まれてきた秀綱が、民百姓と為政者とは分断されたものではなく、より良い社会を築いていくために相互に協調し合う存在だと考えることは当然の成り行きであった。


 一種の理想論である。


 実際この時代の為政者は、所謂乞食などの生活困窮者に食を施す行為について、徳目を重ねる仁政と肯定的に捉えていた節がある。現代の視点から見れば、先ずは生活困窮者を出さないことに政策の力点を置くべきと思わないでもないところだが、農業生産力の限界からそういった人々の発生はどうしても避けられない時代だったのである。

 国司仁政を志す秀綱にとって民草というものは、慈しみ、恩情を施すべき対象であった。亡き和州公直頼が、天文法華の乱で荒廃した洛中に至ったとき、三木家の一行は怒号して群がる乞食を追い払ったものであったが、秀綱はこういった人々に食を施すことをこそ為政者の重ねるべき徳目と考えていた。飛騨の一土豪に過ぎなかった三木家は、直頼から数えて四代後に、真に国司たるに相応しい素養を身につけたということなのであろう。

 しかしそれはひとり秀綱が身につけた素養というべきものであって、では百姓の側ではどうだっただろうか。

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