木曾侵攻(四)
「牛丸与十郎の態度は武士の礼儀を知らぬ者の態度です。公家の被官如きの身で許せません。ことが済めば向家に使者を遣って牛丸に無礼の振る舞いがあったことを宗煕公に注進致し、然るべき処置を求めましょう」
新九郎などは先陣を外された鬱憤も重なって直頼にそう進言したが、もとより直頼にその気はない。
否とも応とも言わぬ兄に対し新九郎が
「兄上、聞いておいでか」
というと、直頼は却って笑みを浮かべながら
「ああ、聞こえている。そのように耳許で大声を上げるでないぞ」
と涼しげですらある。
「兄上がそんなだから牛丸如きがつけあがるのです」
牛丸与十郎の無礼な態度は、直頼にも責任があるのだ。
まるでそう言いたげな新九郎に対し、直頼は言った。
「わしはな新九郎。真に国王に相応しい者には、木鶏の気風が自ずと漂うものだと思っている」
「木鶏……ですか」
唐突になにを言い出すのか。きょとんとする新九郎。
無論新九郎とて、「荘子」達生篇所収の木鶏の故事を知らぬわけではない。
養鶏の達人紀悄子は、あるとき王から闘鶏を育てるように命じられた。
命令を受けて十日後。王が、預けた鶏の仕上がり具合について訊ねると、紀悄子のこたえて曰く
「まだ空威張りして闘争心があるからいけません」
とのことである。
更に十日。王の質問に対して紀悄子は
「まだです。他の闘鶏の声や姿を聞いたり見ただけでいきり立ちます」
と首を縦に振ろうとしない。
更に十日を経て王が下問すると、
「目を怒らせて己の強さを誇示しているうちは話にもなりません」
とこたえる。
王はいよいよ焦れたが我慢強く待ち続け、更に十日後、紀悄子のもとへ行き仕上がり具合について訊ねると、紀悄子は
「もういいでしょう。他の鶏が鳴いても、この鶏はいまや全く相手にしません。まるで木彫りの鶏のように泰然自若としています。この徳を前にしては、他の闘鶏は戦わずしてひれ伏すことでございましょう」
とこたえて、鶏の仕上がりを宣言したという。
戦わずして他の闘鶏を圧する木鶏を、武に拠らず威徳を以て治める王者に喩えた寓話である。
「新九郎。汝は牛丸与十郎をして公家の被官などと評したが、その程度の者が自ずと平伏さぬうちはもとより我等とて真の王者にはほど遠い。あれが自ずと平伏すときが来れば、その時は三木家が真の王者としての気風を湛える家となった証左ともなろう。
もしいま、宗煕公に使者など遣わして殊更に無礼の振る舞いを咎め立てれば、牛丸与十郎は主の手前、我等に頭を下げることになろう。しかしそれでは真に我等に服したとはいえぬ。面従腹背というべきである。
牛丸与十郎、延いては国司三家が自ずと平伏すか否かを見極めるためにも、無理に頭を下げさせるような真似は百害ばかりあって一利もない軽挙であろう。慎まねばならん」
直頼はそう言って新九郎を戒めたのであった。




