八日町の戦い(十三)
首を欠いた主の亡骸を、河上左衛門尉が背負って高原を目指す。これを護るは河上縫殿介、和爾右衛門助、同与兵衛、神代三左衛門等、輝盛の最後の攻勢に付き随った手練れの十三騎であった。
彼等は主輝盛が、負傷した敗残兵を見棄てることがなかったように、輝盛の遺体を戦場に遺棄することはなかった。
いずれも家中を代表する大身の侍だった十三騎は戦場では否が応でも目立つ存在であった。高原に落ち延びようという敵兵の追撃は急であり、とりわけ十三騎を付け狙う敵のそれは激しいものがあった。
しかし十三騎はそれぞれ合力して、主の遺体を護りながらなんとか高原へと至る峠道に差し掛かったものであるが、しかしそれにしてもこれから行こうという峠の間道を見上げればどうだ。
既に日没を迎え、あたりは真っ暗であった。昼間でも二の足を踏むこの峻険を、かかる日没後に行くなど到底不可能なように、十三士には思われた。
加えてここまで逃げどおしに走ってきた騎馬はくたびれ果て、既に何騎かは走らなくなっていた。具足や武具を棄て、身ひとつになったところでこの間道を高原まで無事抜けられるとは思われぬ。
輝盛の遺体をその背に負う河上左衛門尉が言った。
「ここらあたりでどうだ」
このひと言を合図にしたかのように、他の十二騎がそれぞれ馬を降りる。人々はただ黙して左衛門尉に歩み寄り、その背負っている輝盛の遺体を丁重に、丁重に抱き下ろした。見ればその遺体に欠けているのは首だけではない。佩刀していた小鴉丸も失われていた。
出陣に際して累代の名刀を佩き、一文字の薙刀を小脇に抱えた亡き主君の、往時の勇姿をそれぞれが思う。ほんらいであればいまごろは、国内諸衆押し並べて江馬家に与し、一族の結束を欠いた三木家からも離反者が続出して、さながら燎原の火の如く松倉の城下に押し詰めているはずであった。
それがまさか、金幣の馬印に三星一文字を掲げて渡った八日町橋を、今度は首と宝刀を欠いた主の遺体を背負って渡ることになるなど、いったい誰が予想し得たあろうか。
いまは物言わぬ主の遺体を伏し拝んでいた十三士のうち、その遺体を最後まで護っていた河上左衛門尉が徐に具足の紐をほどき始めた。他もこれに倣う。この場にて腹を切ろうというのだ。
大坂峠に差し掛かる手前の間道に一閃、気合いの声が響く。めいめいに腹を切る十三士の咆哮である。
森の小枝に翼を休めていた鳥がその声に驚いて羽ばたきながら闇夜に消えていく。
鳥の鳴き声と飛び去る羽音、それに峠に吹き渡る風の音が、十三士の咆哮と混ざり合って間道に響き渡った。
後には、腹を切って突っ伏す十三人と首を欠いた一柱。
闇夜を縫って現れたのは安国寺の僧と荒城郡の人々であった。彼等は先ほど、十三士の声に驚き飛び去った鳥が、人の姿に身をやつしたかの如く闇夜から出現し、そしてたったいま死んだ彼等の遺体を何処かへと運び始めた。
不意に、彼等の耳に軍馬の嘶きと怒鳴り声が聞こえた。小島時光が差し向けた追っ手であった。人々は十三士の遺体と共に息を潜め、これら追っ手が走り去るのを待った。
喧噪が止んだ後、人々は黙って十三士の遺体をその場に埋葬し始めた。
時宜を得さえすれば三木家を押しのけて飛騨の盟主となり得た輝盛を、領主と仰ぐ荒城郡の人々は、最後まで慕っていたのである。
十三人と輝盛の遺体はその場に手厚く葬られた。
後年、当地に十三士の悲劇を伝える石碑が建てられ、輝盛討死に付随するこの悲劇を現代に至るまで伝えている。




