八日町の戦い(十二)
本戦を初陣とする牛丸又太郎親正は、劣勢な敵を追い詰めながら稚拙な攻め手のために味方が次々と追い落とされている様に歯噛みした。その又太郎が、荒城川西方にかかる八日町橋に注目するのは当然の成り行きであった。
見れば敵勢は長柄隊が主として攻勢を受け止め、弓衆が側方から矢を射かける以外に別働隊の余力を持たないようである。
又太郎は郎党を手元に集めて
「いま戦場を見渡すに、敵味方とも荒城川を挟んでもみ合うばかりで、誰も八日町橋を渡って敵本陣を衝こうという者がない。見れば橋上に敵兵の姿は見えぬ。寡兵でありその余裕を持たないのであろう。これは輝盛本陣を衝く好機である。みんな、俺に手柄を挙げさせてくれ」
というと、弓や鉄炮を手にするこれら郎党を引率して乱戦の一帯を離れ、八日町橋を目指して東進する。
同じように自綱本陣を目指す輝盛は、牛丸又太郎一党の動向には気付いていない。
荒城川南岸を西進する牛丸又太郎は見た。荒城川を挟んで、その北岸を自分たちと同じように西進し、八日町橋を目指す一隊を。
この部隊がいる位置から判断すると、江馬の一隊であることは疑いのないところであった。又太郎は伸びた葦草に姿を隠した。葦草はその長い先端を南に向けてたなびかせている。
(北風か……)
又太郎は風向きを察知すると、鉄炮衆に向かって火縄に着火するように命じた。この風向きであれば火縄の焼ける臭いが荒城川北岸の敵に嗅ぎ取られることがないと判断されたためであった。
又太郎は葦草の陰から敵の一隊を数え始めた。
全部で十四騎。
ひときわ華美な具足を身に着け、薙刀という珍しい武器を得物とする侍がこの一隊の引率者に見えた。
又太郎は鉄炮衆に耳打ちした。
「あれは敵の大将だ。絶対に当たるというところまで引きつけよ。それから撃ち落とせ」
又太郎は更に他の雑兵に対し、
「敵の一隊が橋を渡った頃合いを見計らって鬨の声を上げろ」
と命令すると、この別働部隊を三十間(約五十七メートル)ほど東に下げた。
息を呑みながら敵の一隊の動向を見守る又太郎主従。
或る者は息を潜め、また或る者は固唾を飲み下してこの一隊の渡橋を待つ。
大将と思しき侍が薙刀を振りかざして渡橋を命じると、この良くまとまった一隊は猛然と橋を南岸に向かって渡り始めた。
(いまだ)
又太郎がそう思うが早いか、東に渡した味方の雑兵が一斉に鬨の声を上げる。渡橋し終えたばかりの敵の一隊は俄に沸き起こった鬨の声に驚き、大将一人をその場に残して鬨の声が上がった方角に一斉に馬首を向けた。
「いまだ!」
牛丸又太郎は今度は声に出して言った。鉄炮衆が引き金を引いた。
轟音が響くと、馬上にあった敵将が血しぶきと共にもんどり打って落馬した。
鬨の声に誘われて東に誘引された敵部隊は、背後から突如聞こえた銃声のためにひどい混乱に陥って、めいめい荒城川に乗り入れて銃声のした方向から間合いを取ろうとする。
この隙に又太郎は撃ち落とした敵将の元に駆け寄った。首をかくためであった。
敵将は具足の脇から大量の血を流していた。どうやら弾丸は具足の隙間から生身に直撃したらしかった。一見して致命傷である。
「私は牛丸又右衛門綱親嫡男で又太郎親正と申す者。此度合戦を初陣とする者で、一端の侍と認められるために手柄を欲する者です。願わくば貴殿の名を賜りたい」
又太郎が求めると、致命傷を負った敵の侍は虫の息ながら確かに
「江馬常陸守輝盛」
と呟いてから事切れた。
江馬常陸守輝盛といえば敵の大将であった。見れば確かに着す具足はひときわ立派であったが、敵の御大将でなくとも大身の侍であれば立派な具足を身につけることは当然の心構えであるから、その一事を以てこの人物を輝盛とするにはなお慎重な又太郎である。
他にこの人物を輝盛と特定できるなにかはないか。
又太郎が目を付けたのは武者が佩いている太刀であった。石突金物や革先、鰐口、或いは背金といった金物装飾、そして色とりどりの絹糸で巻かれた渡巻、それに柄巻は、又太郎が初めて目にするほど精緻で美しい意匠であった。
そもそもこの時代、打刀ではなく太刀を戦場で佩いていることそれ自体が珍しい。
敵が名乗ったとおり、この人物が江馬常陸守輝盛かどうかについてはなお検討が必要であったが、敵の大身の侍であることだけは間違いないことであった。
その佩いている太刀を抜いて切っ先をまじまじ見れば、世にも珍しい諸刃の切っ先。
又太郎親正は、それが江馬家什宝小鴉の太刀であると後で知った。
又太郎は輝盛の首を落とすと高々とこれを掲げ、この人物が江馬常陸守輝盛であろうとその影武者であろうと構わず、
「小鷹利城牛丸又太郎親正、敵将の江馬常陸守輝盛の首を斯くの如く獲り申したぞ!」
と大音声に呼ばわった。
喧噪に包まれた戦場に一瞬の静寂。
次いで大歓声。
これまでなんとか荒城川を利用して敵方の攻勢を防いでいた江馬勢は、戦場に伝播した又太郎の言葉のためにたちまち崩れ立ち、河中に乗り入れた輝盛旗本衆ももはやこれ以上の抵抗は無駄と諦めて撤退を始めた。膠着した戦線はあっという間に崩れ、あたりに充満する三木、廣瀬、牛丸と人々。
勝敗は決した。
江馬常陸守輝盛の企ては潰えたのである。
事前の長期戦略が破れ、期せずして短期決戦に持ち込まれたという意味においては、確かにこのおくさ、後年の関ヶ原に似ていなくもない。




