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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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八日町の戦い(十)

 先に、輝盛の攻勢こそ小島時光の戦意を固めさせたと記した。それと同じことが松倉城でも起こっていた。

 これまで幾度となく当主自綱(よりつな)より

「高原を攻めよ」

 と下命されながら、その命令の有効性に疑問を抱き、実行に移してこなかったのが三木家諸衆であった。

 その、ほとんど虚脱状態にあった三木家に冷や水を浴びせかけ、覚醒させたのが輝盛挙兵の一報であった。

 夜半、小島城から急使の躍り込んで曰くは

「小島城下に高原の江馬勢押し詰め候。至急援兵を請う」

 という報せであった。

 江馬挙兵の報は即座に自綱に知らされ、自綱は急遽諸将を召集した。集結した諸将は自綱の姿に瞠目した。

 それは、宣綱のぶつなの声がどうだとか、高原を攻めよとうわごとのように繰り返していた自綱の姿ではなかった。自ら具足を着し、先陣に立つことを厭わなかった曾ての三木家当主の姿がそこにあったからである。

 人々は武具を着した主君自綱を仰ぎ見た。

 自綱はこれまで何度もうわごとのように呟いてきた

「高原を攻めよ」

 という言葉が、今日この時まで実行に移されていなかったこと、そしてそのことが今日の事態を招来したことなど一切触れたり責めたりすることなく、決然

「高原が挙兵し小島城に押し詰めたるは国内の平穏を乱し、人々を苦しめる輝盛の大罪である。暴挙断じて許しがたし。我等これより小島城に後詰する。兇徒輝盛を打ち払うべし」

 と号令すると、三木家の人々はこれまでの逡巡を忘れたものの如く拳を突き上げて気勢を上げ、続々と松倉城から打って出たのであった。


 さてこのころ、富信の諫言に従って高原を目指していた輝盛であったが、その生来の情誼の厚さから負傷兵を見捨てて逃げるということがやはり出来ないでいた。そのために行軍は遅々として進まず、江馬方は荒城郡八日町で遂に三木自綱の軍勢に追いつかれる。

 輝盛は麾下将兵に対し

「歩ける者は鑓を揃えて隊列を作れ。歩けない者は味方が組んだ隊列の後ろに隠れて鑓や指物を掲げよ」

 と命じた。

 この様子を遠目に見ると、江馬勢は初戦の敗勢などものともせず荒城川北岸で三木勢の攻撃を待ち構えているようにすら見えて、勢い込んで戦域に到着した国中くになかの人々を大いに恐れさせた。

 味方が打ち掛かろうとしない様に歯噛みした自綱は勇将舟坂又左衛門を召し出した。

「敵は城攻めに失敗した敗残の兵に過ぎぬが、さすが輝盛である。安易に背中を見せて逃げ散る愚を犯さない。こうなれば敢然挑み掛かり力尽くで打ち破るのみであるが、人々は張り子の虎同然の江馬勢を恐れて進まない。

 いまこそそなたの出番である。皆が逡巡しているいまこそ場中ばなかに身を投じ、存分に手柄を挙げる好機であるぞ」

 と叱咤した。

 舟坂は自綱の激励に接して大身の鑓を掲げながら

「敵は小島城を抜くことが出来ず、ずるずると引き退いた敗勢に過ぎぬ。なにを恐れることがあろう。思うにあれなる陣容は張り子の虎であろう。わしが一番鑓をつけてそのことを証明してやる。我と思わん者は続け」

 と馬を駆け出すと、人々がこれに続く。

 あとは急速であった。

 小島、廣瀬、牛丸の家中衆は舟坂又左衛門に引き摺られるようにして江馬勢に打ち掛かっていった。

 三木勢が江馬勢の後尾を捕捉してから一刻(約二時間)が経過していた。

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