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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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八日町の戦い(四)

 箝口令を敷いた上で入念に練り上げた軍事行動とは異なり、今回のように自綱よりつなが思いつきのように口走った――尤も、本人としては練りに練ったいくさの準備に違いなかったのだが――高原攻めが人々の噂に上るのは当然の成り行きであった。噂は人々の憶測を駆り立てた。

 なんといってもつい先日まで、領内に駐屯していた金森勢に諸役を提供して苦しんできた人々である。その苦労から回復しきらないうちにいくさに見舞われたのではたまらないとばかりに、国中くになかはその噂で持ちきりとなった。噂が高原に届くまで、そう時間はかからなかった。


「三木自綱が高原を攻めると申したそうだ」

 輝盛は群臣に問うた。

 居並ぶ面々はといえば、河上かわかみ中務丞なかつかさのじょう富信とみのぶを筆頭に、同左衛門尉(さえもんのじょう)、同縫殿介(ぬいのすけ)和爾わに右衛門助うえもんのすけ、同与兵衛、神代三左衛門等、主君常陸守輝盛にいずれ劣らぬ猛者揃いである。

 輝盛はその言葉と裏腹に、これら群臣に今後の対応策を諮るつもりなど微塵もなかった。むしろ三木家との一戦に備えて人々に覚悟を促すつもりだったのである。

 輝盛はこうも続けた。

られる前にってしまわねばならぬ」

 

 これまでの江馬家の歴史を振り返ってみれば、永正年間(一五〇四~一五二一)以降、その興廃は全く三木家によって左右されてきたといっても過言ではなかった。輝盛の曾祖父、祖父にあたる時重、時綱父子は三木重頼の死を契機として蹶起に及び、一族庶流の江馬えま三郎左衛門尉さぶろうざえもんのじょう正盛まさもり左馬助さまのすけ時経ときつね父子はその子直頼に味方して総領の座を強奪した。

 惣領の権を回復しようと挙兵した父時貞は直頼との戦いで命を落とし、輝盛はその顔すら知らない。

 時経の子、時盛は三木良頼、自綱父子に叛逆して惣領の座を奪われ、輝盛がその両名の影響のもとに惣領家に返り咲いて今に至っている。

 輝盛はその状況を愉しまなかった。 

 惣領の地位を取り戻したことが不満だったのではない。

 三木家の影響力からどうにも脱出出来なかった江馬家の運命に不満を抱いたのだ。

 輝盛が看破したように、江馬家の興廃はこの六十年あまり、まったく三木家の動向に支配し続けられてきた。


 興るも廃れるも江馬家の運命は三木家次第。

 これで輝盛の面白かろうはずがない。

 

 輝盛にとって三木家が挑みかかってこようという状況は、これを脱出するチャンスにすら映った。

 いまや自綱の後ろ盾ともいうべき織田信長はこの世の人ではなく、全体の統括者を欠いた織田領国は虚脱状態に陥っていた。有機的に行動している者はほんのひと握りであり、前述のとおり上杉方は息を吹き返しつつあるわ、甲信では武田旧臣が蜂起し、北条徳川上杉といった諸勢力が入り乱れて争うわで、とても飛騨にかまけているいとまなどない状況であった。要するに外野の邪魔が当分ない。


 国内を顧みれば自綱は、内訌を抑えるなどと称して却って一族の有力者を立て続けに粛清した直後であった。恐怖に抑圧された三木家中には不満が渦巻いていることだろう。

 また三木家に合力する小島城の小島時光、廣瀬高堂城の廣瀬ひろせ山城守やましろのかみ宗域むねくに、そして小鷹利城を向家より強奪した牛丸又右衛門綱親といった手合いは、いわば自綱の小判鮫、国内の補完勢力といって良い存在であり、ひとたび江馬が蹶起して三木家に強烈な一発をお見舞いすれば、雪崩を打って当方に靡いてくることが予想された。


るならいましかない」

 三木家がもたついているうちに、輝盛がその決断を下すのは当然のことであった。


 群臣に覚悟を促した後、輝盛は下館寝殿へと入った。寝殿の厳重に囲まれたその一画に、江馬家累代の什宝がある。


 即ち青葉の笛、一文字の薙刀、それに小鴉こがらすの太刀である。


 このうち青葉の笛と小鴉の太刀は、いにしえの平相国入道に通じるという江馬家を象徴するように、平家に関わる伝承を伝えている。

 青葉の笛は、寿永三年(関東では治承八年、一一八四)に行われた一ノ谷の戦いの際に、熊谷次郎によって討ち取られた「無官大夫」平敦盛が所有していた笛と伝わる。また小鴉丸は桓武天皇治世、伊勢神宮より遣わされた八尺の大鴉が落とした羽より本太刀が出てきたという伝承からその名が付けられた名刀である。承平天慶のころ、関東で蜂起した平将門を鎮圧する際、朱雀天皇は平貞盛を召し出してこの小鴉の太刀を下賜したことから平家の什宝とされたものであったが、輝盛にとってこの太刀は、惣領回復を願いながら祖母小春が喉を突いて果てた太刀である、という伝承の方が重要であった。


 輝盛は鞘に手を当てた。静かに目を閉じる。

 その脳裡に、これまで繰り返し夢に見た情景が浮かぶ。

 若い女性が諸刃の切っ先を喉に押し当てて突っ伏す情景である。

 次いで老臣の怒号、赤子の泣く声。

 山々に響き渡るのは、復讐を誓った猛獣の如き咆哮。

 父時貞が、復讐を運命づけられた瞬間の情景であった。

 自分自身が生まれるより遙か昔の出来事だったが、怨念と共に伝播した復讐の記憶によって、ことあるごとに輝盛の瞼の裏に映し出される情景だ。

 

 輝盛は決然、目を見開いた。手に取った小鴉丸を素早く抜く。


 三木家を滅ぼし、祖母が望んだ惣領家回復を確固たるものとする。


 輝盛はその諸刃の切っ先を見詰めながら心に誓った。

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