木曾侵攻(一)
「長峰の峠のあたりで、木曾の人々と境目争いがあったらしい」
国中(飛騨国府)の人々は眉をひそめて不安そうな表情を隠さず、そう噂しあっていた。
飛騨と境目を接する木曾の人々もまた、山地の良材を加工して長良川の水運を販路とし、財を獲得する山の民である。山林を巡る境目争いの帰趨は、そのまま飛騨の人々の生活に直結する死活問題だった。
長峰峠と桜洞城の間を、頻々と騎馬武者が往来する。
「木曾勢我が方からの退去要求に応じず、木々を伐り倒すの挙に及びあり」
「東藤相模守殿御出馬。木曾勢と交戦中」
「国司より出馬要請これあり」
躍り込むように駆け込んできた伝令の言葉を聞いて、色めき立ったのは三木新介直綱やその弟新九郎といった面々である。
新介直綱は上座に座する長兄右兵衛尉直頼に向き直り、
「兄上、木曾の劫掠捨て置けません。御出馬を」
と出陣を促すと、末弟新九郎などはもはや待ちきれぬといわんばかりに
「先陣は是非ともこの新九郎に賜りとう存じます」
と先陣を願い出た。
逸る両名を手で制したのは次兄新左衛門尉直弘である。見れば直頼は何ごとか思案を巡らせている様子で、瞑目したまま身じろぎもしない。
長峰峠といえば、木曾が勢力を張っている王滝村からみれば目と鼻の先。翻ってこの桜洞城から長峰峠までは、位山峠を越えて一旦三福寺近辺まで北上し、山間をはしる木曾街道を東へと行かねばならない。
「木曾が長峰峠を越えた」
という伝令からの報告を聞いて、新左衛門尉直弘がまず抱いたのが
(出遅れた)
という焦りであった。直頼も同様の危機感を抱いて、いま頭の中で必死に戦勝の算段を巡らせているのであろう。
しかし敵に先手を取られた以上、対策を先に延ばす暇は寸刻もない。
しばしの瞑目の後、直頼はその両眼を開いた。
「急ぎ三ヶ所廣高へ馬を飛ばし危急を伝えよ。後詰を三佛寺城まで派遣するよう要請するのだ。
先遣の大将は新左衛門尉直弘。汝に命ずる。急ぎ長峰峠へと向かい、新介直綱と合力して敵を討ち取れ」
ここで直頼が言った「三ヶ所廣高」とは
「姉小路三家、廣瀬氏、(高原の)江馬氏」
を指す、この時期の飛騨特有の語である。
ほんらいであれば他国との軋轢に際して表立ってことに当たるべき飛騨守護京極氏も守護代多賀氏も、応仁文明の大乱を契機に没落し、いまや飛騨における影響力は全く喪われていた。そのなかでひとり、守護代多賀氏の被官だった三木家だけが在地ゆえに力を蓄え、いまや国司家さえ凌ぐ威勢を持つようになっていた。
それら三ヶ所廣高を差し置いて、国内諸衆の口の端に
「右兵衛尉直頼殿の御出馬を賜るより他にあるまい」
という声が上がるのは当然の成り行きであった。
三十一歳の直頼には、人々のこういった期待が重圧に感じられる。
当国に住まう人は少なく、物資も乏しい。勝てるか否か、確証はもとよりない。