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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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一族の和、乱すべからず(五)

 秀綱に申し置く。

 飛騨は現下、織田家に越中軍役を押し付けられようとしており、父は民力疲弊甚だしい折に新城普請にかまけ、民の塗炭を知ろうとしない。これは亡国の兆しに違いなく、私は父に諫言申し上げたが遂にお聞き届けいただけなかった。私はまもなく切腹を申し付けられるであろう。いつぞやそなたに覚悟を促したとおりとなった。

 後事を託すはそなた以外にない。そなたも兄同様生まれながらにして姉小路古川の名跡を継ぐ者。死んでいく兄に代わり自信を持って国司の政道を歩むべし。

 ゆめゆめ、父が歩んだような血塗られた道を歩むでないぞ。


 一寸八分(約五・四センチメートル)四方の小さな紙切れにびっしりと記された兄宣綱からの言葉に、秀綱は涙した。宣綱は死を覚悟し、なんとか秀綱に後事を託そうとしてこのような密書をしたためたのであろう。


 秀綱は、宣綱に腹を切らせようという自綱を思い止まらせなければならなかった。


 しかし兄宣綱の声なき声がそれを押し止める。

(真に国司の政道を行えるのは汝以外にない。兄を救おうなどと考えて犬死にするな)

 死を覚悟して秀綱に後事を託そうとしている兄の心根を思うと、秀綱は父自綱(よりつな)に諫言することが正しいことだとは一概に思えなかった。

 次期当主と慕った兄の死が差し迫って感じられるなか、秀綱は時間の感覚を失いつつあった。大事な者を失いつつあるというのに何も出来ない無力感と喪失感。

 父自綱の招致に接したのはそんなときのことであった。


「覚悟は出来ておるか」

 自綱の問いかけは短かった。

 しかしその短い問いかけのなかに、すべてが詰まっていた。

 父はやはり兄を殺してしまうつもりなのであり、だからこそ次期当主としての覚悟があるかどうかを、いま秀綱に問うたのである。


「覚悟? 覚悟とは何のことでございましょう。私には固めなければならない覚悟などございません。むしろ父上こそ覚悟召されるがよい。これから先、飛騨を、そして我が三木家を見舞うであろう過酷な運命を覚悟なさるがよろしかろう。

 人々は軍役或いは普請役に鬱憤を重ね、立ち上がった人々に追い詰められた父上は新しい城の片隅に追い詰められて腹を切ることになるでしょう。国司名跡を名乗りながら仁政を忘れた父上に相応しい、哀れで惨めな最期ではありませんか。

 これを恐れるならば兄宣綱の諫言に耳を傾け、いまからでも遅くないから赦免なされよ。兄上が敷く国司仁政に後事を託すのです。父上が、そして我が三木家が生き延びるためにはそれしか道は残されておりませぬ」


 秀綱が夢想した言葉は、自綱に一言の反駁も与えず完膚なきまでに論破した。しかし同時に秀綱は冷静であった。


 もし秀綱が本当にそんなことを口にすれば、もはや宣綱に対する処断を決意した父が、自分如きを処断するに何の逡巡もないことはいまから明白であった。秀綱自身は民草を救うために死を恐れるものではなかったが、ではもしいま自分が父に処断されるような所業に及んだとして、後事を託して従容と死に赴こうという兄はどんな心境で死んでいかねばならぬのか。

 それこそ犬死にではないか。


 そのことを思うと秀綱は、自分の意見が正しいと知りながらなお、口に出すことが出来なかった。

 秀綱には

「出来ております」

 という答えしか残されていなかった。


 自綱と秀綱が対面して旬日も経ない天正七年(一五七九)二月二日、幽閉されていた宣綱の切腹が、鍋山城において執行されることとなった。

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