一族の和、乱すべからず(二)
自分の息子二人の間でこのようなやりとりがあったことを自綱は知らない。自綱はただ、昂奮混じりに語った自分の事蹟について宣綱が言葉を差し挟んだことを、信じられないといった表情で聞くばかりだ。
堰を切ったような宣綱の言葉は止まるところを知らない。
「信長公御戦勝、まことにおめでたい限りでございますが、思うところ一切なしとも致しませんのでこの際お尋ね申し上げます。
もとより住まう人も寡少、上古には庸調を免除されるほど貧しかった我が国の台所事情は、今も昔もそう変わりありません。しかるに現状、信長公に命じられた越中方面への軍役に加え、新城普請が重なり、人々の疲弊は極みに達しております。
重ねがさね申し上げますが、御先代は亡き謙信公より越中軍役を申し付けられた際、在番すれどもいくさせずを旨とし、越中に一兵たりとも死なせることがありませんでした。御先代の御明察の賜物と存じます。
そこでひとつ父上にお尋ね申し上げます。
来るべき越中出陣に備えて、御先代のように犠牲者を出さず、諸人の苦しみを除く妙案はおありか」
強権以て臨んできた自綱にして近年聞かない直言であった。一座は静まりかえり、固唾をのむ音すら聞こえる静寂である。
自綱は宣綱の問いに答えることが出来ない。答える論理を持たなかったし、まさか他ならぬ嫡男から異を唱えられたとあって、驚きのあまり虚脱状態に陥ってしまったものの如く、答える言葉を失ったのである。
そんな父を尻目に宣綱が更に続ける。
「いま父上のご様子を拝察致しますに、私の問いに答えられる確たる方策はないものと見受けられます。来春雪が解ければ我等は越中軍役を課され、或いは濃尾の織田兵に糧秣や宿所を提供する役務を課され、ますます疲弊することがこれで明らかになりました。人々を苦しめるだけの三木家に未来はありません。
信長公に取り立てられても、これでは飛騨の人々が我等を見捨てるでしょう。
父上、もはや多くは申しませぬ。
いまこの場で私に家督を譲られよ。私には信長公に折檻されようとも飛騨の国情を包み隠さず申し上げ、諸役のうちのいくつかを免除していただく算段がございます。無策の父上とは違います」
宣綱の言葉が半ほどに達したころから、自綱の顔は真っ赤に染まっていた。自分が驚きのあまり虚脱状態に陥っているうちに、宣綱が次から次へと言葉を重ねたことで、自綱の怒りは頂点に達した。あまつさえ家督譲渡に言及されたとあってはとても捨て置けぬ。
「おのれ宣綱! それは誰の入れ知恵か!」
どうせ自分の意見ではあるまい。自綱は言外にそう言った。我が子とはいえ弱冠にも達しない宣綱を軽んずる言葉であるのと同時に、宣綱自身の意見ではないとこの場で明言させ、なんとか不問に付そうという自綱の相反する考えが垣間見える恫喝であった。
しかし宣綱は怯まず、父が怒りの一端にかけた一種の温情に気付きながらも
「誰の入れ知恵でもありません。私の意見です!」
と一歩も引かない。
「双方おやめなされ」
割って入ったのは塩屋筑前であった。このままこの父子問答が諸人の前で繰り広げられれば、自綱は宣綱を成敗するなどと言い出しかねなかった。宣綱に将来の希望を託す塩屋筑前は、どうしてもそのひと言が飛び出すような事態を防がねばならなかった。塩屋は宣綱に向かって言った。
「若君、お言葉が過ぎますぞ。現下、越中に信長公は日の出の勢いであり、雪が解け我等越中軍役を命じられたとて、さほどの犠牲者も出さず諸役を遂げることが出来ましょう。人々の苦役を慮る若君のお言葉、誠に痛み入る次第でございますが、心配ご無用でございます。
ささ、先程来の無礼、御本所(自綱)に詫びられよ」
これに対して宣綱は
「差し出がましいぞ塩屋。一度は主家を捨てて出奔した身を顧みよ」
と一喝して黙らせてしまった。
無論宣綱は本気でそのようなことを口にしたのではない。下手に宣綱を弁護したことで、塩屋に累が及ぶことを危惧して一喝加えたものであった。
「先程来黙って聞いておれば好き勝手申しおる。なるほど諸役重なって疲弊の極みにあるとは本当のことらしい。城に帰って一度休め。頭を冷やしてから出直してこい」
塩屋筑前の調停が不発に終わったので、自綱は宣綱の疲労を理由にこの場を納めるつもりであった。このまま宣綱が黙らなければ、自綱はほんとうに宣綱に処断を下さねばならなくなってしまうからであった。




