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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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山上の巨郭(四)

 互いに肚の裡に逸物抱きながらも、自綱よりつなと塩屋筑前は協力しなければならない立場にあった。越中に増派された織田勢の一部を本国に帰還させるという任務に従事するためであった。

 信長は月岡野の戦いの戦果を押し広げるべく濃尾を治める嫡男信忠に命じて、毛利河内守、坂井越中守、森勝蔵等を援軍として派遣していたが、雪で飛越国境が閉ざされる前にこれら派遣軍を美濃に返さなければならなくなったのだ。通路にあたる飛騨はそのための諸役を織田勢に供することを命じられたのである。

 それは糧秣や宿、乗り潰した馬の提供等、多岐にわたる役務の提供であった。下々の国飛騨にとっては大軍が通過するというだけでも負担であった。


 自綱はここでも塩屋筑前の財力をアテにした。

 既に新城普請に駆り出されていた塩屋筑前は、それでも上杉陣営を離れて三木家に帰参した負い目があり、織田勢への諸役提供には人一倍(いそ)しんだ。彼なりに信頼を取り戻そうと必死だったのだ。

 

 もともと地味に乏しく自前での食糧供給にすら難があった飛騨の国情、塩屋筑前は越中栂尾に本拠を有していた強みを活かし、越中で手に入れた兵糧を織田勢に回送しながら撤退を手伝ったが、それは地味で過酷な任務であった。

 兵糧など供給されて当たり前としか思っていない相手に感謝もされない任務は、塩屋筑前以下嫡男監物(けんもつ)、次男三平等を否応なく疲弊させた。自綱も塩屋一族に任務の大半を丸投げし、しかもその塩屋筑前に新城普請を並行して行わせていたのだから塩屋一族が不満を募らせるのも当然の話であった。


 塩屋筑前が疲れ果てた重い足を引き摺りながら新城普請の現場を視察していたときのことであった。塩屋は不意に背後から声をかけられた。若く、快活な声であった。

「必ず会えると言ったであろう」

 振り向くと、そこにいたのは自綱の嫡男、宣綱のぶつなであった。

 それまで口喧くちやかましく現場を監督していた塩屋筑前が驚きの表情のまま固まった。出すべき言葉を失っている様子であった。

「どうした塩屋。久しぶりだな。宣綱だ。私を忘れたか」


 宣綱の言葉を聞いた塩屋筑前を襲ったのは、不意の落涙であった。

 塩屋筑前は慌てて下馬し、その場に折り敷いた。

「お久しうございます。一度は出奔した恥もかなぐり捨てて帰参いたしました」

 そう言ったきり、言葉を継ぐことが出来ない塩屋筑前。両眼から流れ落ちる涙が皺だらけの頬を伝う。

「そなたに会えて私も嬉しい。泣くでない塩屋。笑え」

 宣綱は折り敷いたまま顔を上げようとしない老臣の手を取った。

 ひとしきり感涙にむせんだ塩屋筑前であったが、宣綱が

「時に越中での戦況はどうであったか」

 と諮問すると途端に武将の顔に戻り、

「一進一退でございます。先月、月岡野に河田豊前、椎名小四郎を大破し、越中諸豪族は信長公にひれ伏す勢いではございますが、ここに来て冬将軍が到来いたしました。織田方の勢いはがれます。そのために戦いは長引きましょう。しかし上杉が盛り返す目はごさいません」

 との見立てを陳べた。

 宣綱はその言葉を聞くや

「そうであろう。塩屋をはじめ国内の諸衆がこのたびの越中派兵に苦しんでいるのに、父上は相も変わらず信長公一辺倒の外交姿勢を変えようとしない。先代(良頼)は曾て、謙信公より越中在番を命じられた際には故意に戦いを放棄して、飛騨衆に一人の戦死者も出さなかったものだが、父上のやりようは信長公から言われるまま諸役を請けて、いまは越中軍役のみならず濃尾の織田兵に糧秣や宿所を提供しなければならない負担を負っている。祖父に比較して父上は工夫がなさ過ぎる。これでは上杉家との友誼を保っていた時の方がマシであった。いくさが長引くとなれば尚更だ。

 帰参したばかりだというのに塩屋には随分負担をかけた。私は、いま自分があるのはそなたのおかげだと感謝している。まもなく諸役の苦しみから解いてやる。待っていてくれ」

 と老臣を労った。

 塩屋はその言葉を聞くや

「お待ちあれ若君。愚老にとってはいまのお言葉を賜ったことこそ栄誉。思うに若君は御本所(自綱)に対して家中に渦巻く不満を直言なさる御心積もりと拝察致します。しかしかかる直言に耳を傾ける御本所ではございません。万が一御身(おんみ)に危難が及ぶことにでもなれば、家中に残された唯一にして最後の希望……、若君の家督継承が潰えることにもなりかねません。

 短慮を起こし賜うな。どうか、どうか御再考を」

 と懇願したが、宣綱はただひたすら、真っ直ぐ正面を見つめるだけであった。

 そのあまりに真っ直ぐな視線は、さながら宣綱の揺るがぬ決意を示すものの如くであった。

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