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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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山上の巨郭(一)

「前非を悔いて許しを請うとは殊勝な心懸けである」

 越中栂尾から塩屋筑前の手紙を携え、自綱よりつなに謁見した使者は、その殊の外上機嫌な様子にひとまず安堵した。場合によってはこの場にいない塩屋筑前に代わって自分の首が刎ねられる恐れもあったから、その安堵はひととおりではなかった。

 自綱は胸をなで下ろす使者に続けて言った。

「身に改めて忠節を誓うその証として、城普請を命ずる。三木家の威勢を国内に轟かせる新たな城だ」

 使者は自綱の命を拝してその許を一旦辞し、越中栂尾に帰って塩屋筑前に復命した。


 塩屋筑前が頼った越後は、いま大変な混乱の渦中にあった。三月半ばに謙信が亡くなってからというもの、ひつ月も経ずに蘆名盛氏が上杉領に侵攻してくるわ、その防衛戦術を巡って上杉景勝と家臣との間でいざこざが起こるわで、文字どおり狂騒のまっただ中にあった。

 具体的には上杉家重臣にして三条城主神余(かなまり)親綱ちかつなが謙信の死に乗じた蘆名の侵攻を事前に察知して、地衆から人質を徴した行為が景勝の逆鱗に触れたのである。神余親綱は地衆が敵方に転じるのを防ぐために人質を取ったのであり、その危惧したとおり四月三日、蘆名盛氏は越後に侵攻し、神余親綱がこれを撃退した。

 事前に神余親綱の人質徴収を難詰した景勝の面目はこれで丸つぶれになった。家臣の防衛戦術の方が図に当たり、景勝の難詰こそお門違いだったことが証明されてしまったからである。景勝はしかし、神余親綱の奮闘を賞賛するどころか謀叛人に認定してしまう。御館おたての乱は、この三条手切といわれる一連の事件を発端としている。


 謙信には実子はなかったが養子が二人いた。一人は上田長尾家の血を引く謙信の甥、喜平次景勝。実父は謙信の遠縁に当たる長尾政景で、実母が謙信実姉仙洞院という血筋である。

 もう一人は小田原北条氏の総帥氏康の七男で、生前の武田信玄を主敵と定めた越相同盟締結の際に、氏康から謙信に人質として出された三郎景虎であった。

 養子二人のうちどちらを後継者にするか、生前の謙信が明示していなかったことに乱の原因を求める見解もあるが果たしてどうであろうか。

 常識で考えれば景勝への家督譲渡が妥当な線であろう。長尾家との血縁を持たず、上杉の宿敵ともいえる小田原北条氏に出自を持つ三郎景虎が後継者に指名されるなど、どう考えてもあり得ない話である。謙信が個人的に三郎景虎を気に入っていたとしても、上杉家という組織体が景虎後継を受け容れられたとはとても思えない。やはり謙信は景勝こそ後継者と明確に定めていたのではなかろうか。


 しかし三条手切が家臣団の多くを幻滅させた。

 三郎景虎が一連の抗争に初めて名前を出すのは謙信死去のひと月半後、四月三十日のことである。このことから、最初に両名の対立ありきで起こった乱ではなく、三条手切に至る景勝のまずい措置に家臣団が幻滅したことにより担ぎ出されたのが三郎景虎だった、というのが乱の真相のように思われる。

 いずれにしても上杉は本国越後はもちろん、分国も含めて景勝派と景虎派とに分断され、もはや上洛どころの話ではなくなっていた。一時は加賀まで進出し、天下を窺う勢いだった上杉家は織田家の反撃に遭い、いまや対織田戦線は越中まで後退を余儀なくされている有様だった。

 信長は北陸方面の将、佐々《さっさ》権左衛門尉ごんざえもんのじょう長秋ながあきを越中に入れて、謙信の寵臣だった河田豊前守の調略を試みている。旧主謙信を失ったからといってもさすが重臣河田豊前守、そう簡単に調略に乗るようなことはなかったが、それにしても上杉の退潮は急速であった。塩屋筑前が上杉を見限ったとしても責められないほどの混乱が、上杉を襲っていた。


 時宜を見て主君を変えるのが当たり前の戦国乱世ではあるが、短期間のうちにころころと主君を変えることが反感を買わないわけではない。ほんらいであれば三木家を裏切って上杉に転じ、上杉不利とみるや自綱に許しを請う塩屋筑前の如きを再び召し抱える自綱ではなかった。しかし累年の悩みの種だった上杉が衰え、代わって信長の勢力が越中にまで伸びてきた状況が、頭書の如く自綱を上機嫌にさせていた。

 塩屋筑前は新たな城普請を担うことによって帰参を許された。

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