翻弄される下々の国(五)
さて理由も分からず俄に取り立てられたこれら猛者連中に、最初に下った命令は
「岡本豊前守一党を残らず捕縛せよ」
という非情命令であった。
自綱の眼前で軍事行動を展開する越軍に恐怖するあまり、自らが上杉家取次に任じたにもかかわらず、越軍に通じる者としてその捕縛を命じたのである。もはや狂気の沙汰というよりほかない。
だがこの狂気じみた命令も、自綱にとっては自衛行動なのである。なぜならば岡本豊前守も、夢の中で窮地に陥った自綱を助けることがなかったではないか!
夜半、岡本豊前守邸宅は自綱が編成した秘密警察の一隊によって襲撃された。得物を手にした手練れの一隊に接し、寝込みを襲われた岡本豊前は防戦もままならず捕縛され、一族郎党残らずふん縛られて、自綱の眼前に引き出された。
自綱は目の下に隈を作り、すっかり頬の痩けた顔をいやらしくにやつかせながら、岡本豊前に言った。
「縄目を受ける心当たりがあろう」
既に正常な判断力を失っていた自綱は、夢の中で岡本豊前が自分を助けなかったことを指しながら「心当たりがあろう」と言ったものであったが、岡本豊前はその「心当たり」なるものが、まさか自綱の妄想に基づくものだとは思っていない。そんな妄想ではなく、自分が塩屋筑前に密使を遣り、謙信の存念を聞き出したことを指して、自綱が「心当たり」と言っているのだと確信したことは、岡本豊前にとって致命的な齟齬となった。
このように、謀叛人塩屋筑前との連絡がどうやら露見したらしいと早合点した岡本豊前はもはや命数は尽きたものと観念して言った。
「如何にも。
心当たり、ないではない。良い機会なのでこの際はっきりと教えておいてやる。上杉と手を切ったのは間違いだ。いずれ貴様、越後の折檻を受けることになるぞ!」
岡本豊前のこの言葉は、塩屋筑前が謙信に願い出たという
「折檻を加えるなら自綱一人にとどめ置いてほしい」
とする言葉を受けてのものであったが、連日連夜越後兵により首を刎ねられる悪夢にうなされていた自綱にとっては、その夢に符合する言葉であり、容認しがたいものであった。
「首を刎ねよ! 我が三木一族に内訌など起こってはならぬ! そうなる前に殺せ!」
自綱は詮議は無用とばかりに大喝した。命令一下、岡本一族の処刑は即刻実行に移されたのであった。
* * *
妙範禅定尼 岡本殿内上 天正五年二月日
伯翁金察禅門 豊前守 天正五年二月日
「飛州志備考」所収「高野山過去帳」所載の岡本豊前守夫妻の諡号である。注目すべきはその没年であり、夫妻が同一の年月日に死亡したことが図らずも明らかにされている。どう考えても異常というよりほかない。
本作に記した岡本豊前守殺害を巡る顛末は無論創作ではあるが、「高野山過去帳」に掲載されているこの淡泊な記事は、この時期の三木家を見舞った異常事態を、おぼろげながら現代に伝えているように思われてならない。




