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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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翻弄される下々の国(一)

 塩屋筑前が越中に逐電したことで三木家中に上杉家担当の取次がいなくなったことは、自綱よりつなを俄然焦らせた。先述のとおり、既に上洛を決意しその準備を着々と進めていた謙信は、自綱が自陣営から離れたことを蚊に刺されたほどにも感じてはいなかった。しかし謙信の遠大な構想が理解できない自綱は、塩屋筑前が逐電の直前に発した警句

「我等が永年の上杉との友誼を排し、飽くまで信長公と交わるというのであれば、謙信公が上洛を果たした後、飛騨が越後の討伐を受けること必定」

 が実現することをただひたすら恐れるばかりであった。

 自綱は上杉からの離脱を考えてはいたが、その討伐対象になることまでも望んでいるわけではなかった。

 自綱は逐電した塩屋に代わる上杉家取次を急いで指名しなければならなかった。自綱にとってそれは、岡本豊前守以外になかった。


 先々代大和守直頼は、当代の戦国大名の多くがそうしたように、飛騨を平定する過程で国内諸豪族と政略結婚を繰り返している。

 岡本家は直頼が政略結婚で取り込んだ国人領主の一であったと思われる。現在の高山市岡本近辺に勢力を保っていたものであろうか。

 天文九年(一五四〇)のものと推定される十月六日付直頼書状には


一、岡本方には男子出生候、新介は娘誕生候、兄弟共如存分子共出生候間、一身之様に満足仕候


 とある。

 孫の出生ラッシュに沸く直頼の心情が書き綴られたこの書状からは、「岡本方」が直頼の娘婿だったことが推測できる。

 なお「新介」は新介直綱と推定され、このころは一宮家を継承していたようである。一宮家は飛騨国一宮水無(みなし)神社の神主であり、直頼期の三木家はこういった宗教勢力とも積極的に姻戚関係を取り結び、勢力を拡大していったということになる。

 

 兎も角も岡本家は先々代和州公直頼の娘婿の家柄、あまつさえその岡本家の当代豊前守は、前掲の直頼文書でも分かるとおり天文九年生まれの自綱と同年齢であり、自綱が深く信頼したであろうことは想像に難くない。

 そして累年上杉家との取次を担ってきた塩屋が越中に逐電したいま、その重責を担い得るのは岡本豊前守以外になかった。


 岡本豊前には、その自綱から寄せられる信頼が重圧に感じられる。即ち、穏便なる上杉陣営からの離脱。この難事を実現せよというのだから。

 どれだけ困難な目標と思われていても実現に向けて動き出すことこそ外交の要諦とはいうものの、自綱はつまり

「上杉から離脱はするがその攻撃対象にはなりたくない」

 と考えているのである。これではあまりに虫が良すぎる。

 確かに現下、上杉家と織田家の対立は表面化してはいなかった。いなかったが、曾て存命中の武田信玄を共通の敵としていたころの両家の友誼はいまや望むべくもない。武田の威勢が失われたいま、勢力圏が急速に接近しつつある両家が決裂するのは時間の問題であった。そうなれば飛騨にとってより脅威に感じられるのは、越中を掌中に納めている上杉である。敵方に転じた飛騨を接収しようと押し寄せてくることだろう。

 はしなくも岡本豊前が看破したとおり、現下上杉家と織田家の対立は表面化してはいなかった。それだけに岡本豊前は、いまこの段階で三木家の外交を織田家一辺倒に局限してしまうことが正しいことだとは思わなかったのである。また家中衆とて、未だに上杉家との連携破棄を受け容れてはいない。

 自綱はこの難しい問題の解決を岡本豊前に求めたのである。


 岡本豊前守は自綱から

「そこもとを上杉家取次に任じる。よろしく頼む」

 と命じられたとき、ひれ伏してその命を拝しながら、内心

(自分で困難の種を蒔いておきながら、わしにその後始末をさせるか)

 と嘆息していた。

 岡本豊前守にとって頼るべきは、前任の塩屋筑前以外になかった。岡本豊前守は飛騨を逐電して越後へ逃れた塩屋筑前に密使を派遣した。謙信が上杉陣営を離れた三木家にどう対処するか。謙信による飛騨討伐あり得るや否やを問い合わせようとしたのだ。

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