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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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塩屋変心(四)

「父上は間違っている」

 自綱よりつなの信長偏重の外交姿勢を批判した宣綱のぶつなは自邸に帰って呟いた。独り言ではない。弟秀綱に対して言ったのである。

 宣綱十一歳に対し秀綱九歳といういずれも児童であるが、父自綱が両名に与えた教育は生半なまなかのものではなかった。当代屈指の教育を与え、そして両名の有する天性であろうか、頭脳は極めて明晰であった。


 秀綱は兄が青い顔をしながら

「父上は間違っている」

 と繰り返す様子にただならぬ雰囲気を察し、訊ねるとこうである。

「近年の父上の方針は危ういと言ったらない。家中の意向も無視して御自らの方針にご執心だ。このために塩屋筑前の如き先代以来の忠臣を遠ざけてしまったではないか」

 父自綱の叱責に接して憤懣を抱いたのではない。それは真に、飛騨三木家の行く末を案じて宣綱の口からこぼれた言葉であった。

 宣綱は秀綱に向き直って続けた。

「秀綱。私に何かあったら後のことはよろしく頼む」

 まるで遺言である。

 さすがに賢弟であっても、兄の言葉の意味が俄に理解できない秀綱。

「兄上お待ちください。この秀綱にはいまの兄上のお言葉が遺言かなにかのような聞こえました。短慮を起こし賜うな」

 秀綱は、兄が父自綱に対してさらなる諌言を重ねるのではないかと気が気ではない。これ以上自綱を怒らせてしまえば良くても廃嫡、悪くすれば家を追い出され、出家させられるというところまで考えねばならなかった。さすがに腹を切らされる、ということはなかろうが……。

 秀綱は兄の思い詰めたような表情を見て、そのような不安を抱いたのだ。

 しかし宣綱は言った。

「安心せよ秀綱。長幼の序をわきまえない私ではない。父がこのまま信長公との友誼を重んじ、上杉との交わりを絶つ道を選んだ以上、それに従わねばなるまい。私は二度とこのことについて父上に諌言申し上げるつもりはないが、家中にくすぶる不満はどうにも抑えがたいように見える。

 私は何者かに担がれるかもしれぬ。そうなれば後事を託せるのは汝以外にないと言っているのだ。私が好んで家中に混乱を起こすことは金輪際あり得ん。それについては安心せよ」

 宣綱は自分自身の存念で家中に混乱を発生させるつもりはないと断言したが、確かに宣綱自身がおとなしく収まっていても、三木家後継者たる地位を利用してこれを神輿みこしとして担ぎ、謀叛を企てるようなやつばらが出現しないとも限らない。そうなれば宣綱は自らの身を処断してでもそういった者の企てを破砕し、三木家を守り通す決意を示したのである。

 秀綱はしかし、その兄の言葉を聞いて青ざめながら訊ねた。

「まさか、兄上を担ぎ上げて謀叛に及ぼうという動きがあるのでしょうか」

「さにあらず」

 宣綱は言下に否定して続けた。

「具体的にそういった企てをしている者を私が知っているというわけではない。たとえば今回逐電した塩屋筑前の如きがそういった挙に及んだとしても、不思議ではなかったと言っているのだ」

 宣綱はそう言った後、ため息をつきながら

「私を担ぎ上げて叛旗を翻さなかったという意味では塩屋は、当家にとって最後まで忠臣であったな」

 と、最後までその出奔を惜しんだ。


 天正四年(一五七六)十二月八日、宣綱は元服し、同月十二日、従五位上侍従叙任を果たしている。三木家中において姉小路古川宣綱による後継は既定路線と受け取られ、それは確かに、何の問題もなく着々と進んでいるかのように、表面上は見えるものであった。

 なお宣綱についてはその名を別に「信綱」とし、「信」字を信長からの偏諱とする書もあるが、「信」字は織田家の通字でもあり、信長がこれを偏諱として授けたとなると、姻戚関係を伴う強固な同盟関係が両家の間に存在したことになる。しかし前述のとおり、信長と自綱の相婿関係を証明する史料は存在しない。信長が、姻戚関係を伴わない一同盟国の子息に、家の通字を偏諱として与える道理がないのである。

 したがってこの話は、この時期の自綱が織田家への接近政策をとっていたことから、後世唱えられた附会ではないかと考えられる。この見解に則り、本作では一貫して「宣綱」と表記するのであらかじめ了承願いたい。

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