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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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自綱上洛(八)

 余談が過ぎたが、朝廷行事の執行こそ生活の糧だった多くの公家にとっては、武家政権は金づるに他ならなかった。これが身近にいれば、様々な頼み事もさぞかししやすかったことだろう。結局のところ信長は、かかる面倒な依頼ごとを嫌って安土に本拠を構えたのではなかろうか。

 

 武田勝頼を滅ぼしたあと、織田信長が安土城に凱旋したのは天正十年(一五八二)四月二十一日のことであった。「晴豊公記はれとよこうき」によると、戦勝祝賀の勅使勧修寺(かじゅうじ)晴豊はれとよが京都を出発したのも同日で、晴豊は二十三日に信長と対面し、賀意を陳べて祝いの品を下賜している。勅使一行は二十四日には帰洛して誠仁親王に復命しているので、京都安土間の往来は一日がかりであった。

 因みにJR西日本東海道本線京都駅~安土駅間は四十二・八キロメートルである(http://ekitan.com)。

 大がかりな朝廷行事の執行を依頼するというのならば押してでもいく行程だろうが、金の無心や訴訟での有利な取扱いといった個人的な頼み事ならば二の足を踏む距離である。信長は後者の効果を狙ったのであろう。


 後年、豊臣秀吉が大坂本願寺跡地に大坂城を築いて本拠地としたことを指して、さも当たり前のように

「信長の構想を秀吉が取り入れて、大坂城を築いた」

 などとされることがあるが、考えてみればこれは不思議な話である。

 信長の構想云々は史料的裏付けのない推測の類いではあるけれども、注目されるのは、その推測レベルの話でもやはり、信長が京都に本拠を構えようとした、とはされていない点である。

 清洲城から小牧山城、岐阜城、安土城といった具合に、勢力拡大とともに着々と京都に向けて駒を進めていったとされる信長が、安土の次にあろうことかその京都をすっ飛ばして大坂に本拠を構えようとしたとは一体どういうわけであろうか。信長が京都を目指したというのであれば、安土の次は京都でなければ道理に合わぬ。

 みなさんは不思議に思われたことはないだろうか。何故大坂なのか。


 この疑問が氷解したのは機会があって訪れた安土城跡を見たときのことであった。


 近いとはいえやはり大坂京都間もそれなりの距離がある。繁栄の程度こそ月とすっぽんほどの差がある大坂と安土であるが、近くでもなければ遠くでもない、という京都との微妙な距離感という点では共通している。

 先に挙げたJR西日本東海道本線の例でいえば、京都駅~大阪駅間は四十二・八キロメートルであり、これは奇しくも京都駅~安土駅間と等距離である。単なる偶然ではあるまい。

 京都を出発して即日大坂に到着する、というのは当時としても決して無理な行程ではなかっただろうが、個人的な依頼ごとをするには二の足を踏む距離だったということだろう。


 天下の執行者として信長に求められる支出は、もし本能寺の変がなければ、この後も続くはずであった。信長が在京するということは、公家をして朝廷行事諸々の出資依頼のみならず個人的な依頼ごとを容易ならしめるということに他ならなかった。

 面倒な依頼が信長の許に殺到することが予想され、政治的にも軍事的にも停滞を余儀なくされかねない問題と映ったことだろう。

 なので信長は自身が在京する代わりに京都所司代を置いた。これは京都における信長の代理人であって、村井貞勝が勤めた。公家は信長への依頼ごとがあればまず京都所司代たる村井貞勝に申し出なければならなかったし、わざわざ安土に行くよりは在京する村井貞勝に面会を求める方が断然手っ取り早い。

 信長は朝廷の庇護者として声望を失うわけにはいかない立場にあるから、無理な依頼ごとであっても表面上はこれを快く受けてやらねばならない。無下に断れば悪い噂を流されかねないからである。愛想を振りまかねばならない立場だったのだ。

 その点、信長本人ではなく、その代理人たる京都所司代が公家の依頼ごとを断った、というのであれば、少なくとも信長の声望が傷つくことはない。泥をかぶるのは所司代ということになる。自然、所司代に悪感情を抱く者も出てくるだろう。恨みを買いやすい訴訟ごとともなれば尚更だ。

 しかし悪評が高じて勤められなくなった、というのであれば、所司代の首をすげ替えれば良いだけの話である。このあたりは現代の代議士と秘書の関係に似ている。


「公家連中から持ち込まれる厄介な依頼ごとを門前払いにする」

 信長が京都を避けて安土のようなところに本拠地を構えた理由は、案外そんなところにあったのかもしれない。

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