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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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自綱上洛(四)

 自綱よりつなの正室はの斎藤道三の娘だと巷間伝えられている。

 織田信長の正室はいうまでもなくその斎藤道三の娘濃姫であり、自綱の正室は濃姫の妹だというのである。

 しかし自綱を信長の相婿とする有名なこの話には、実は史料的な裏付けが存在しない。史料的な裏付けが存在しないという意味では、自綱の妻を小島家に連なる女性とする説も同じことではあるが、自綱が姉小路古川の名跡を恒久的なものにしようと企てるならば、正室を斎藤道三の娘とするよりは姉小路三家から迎えた方が都合が良いことは論を俟たない。如何に美濃の実力者とはいえ、斎藤家の娘と自綱の血を引く子では、古川の血が薄まるばかりだからである。恐らく朝廷は、自綱と斎藤道三娘との間に生まれた子には、古川の名跡継承を認めなかっただろう。自綱は、姉小路古川の名跡を確たるものにするため、三家のいずれかから正室を迎えたと考える方がはるかに合理的である。

 私はその女性の出自を小島家に求める見解に賛成する。年代的には小島雅秀の娘、即ち当代小島時光を兄弟とする女性である。

 そして鍋山左衛門佐を誅殺し、外見上は一族の平穏を保ったこのころの自綱は、満を持して、小島家の女性と自身との間に生まれた嫡男、宣綱のぶつなの元服と叙位任官に乗り出したのであった。


 満を持して、とはいっても先立つものは何より資金であり、自綱は越中在番で苦しむ塩屋筑前からの借財により用途を捻出して朝廷に献上し、盛んに宣綱の任官運動を繰り広げている。

 塩屋筑前からの借財は、先代良頼のころから繰り返される三木家の悪しき伝統といってよい。これは先代の頃から少しも返済されることなく、驚くべき総額に上っていただろうが、自綱は父良頼がそうであったように、

「塩屋が借金であれこれ言い出したら、士分を取り上げると脅せば良い」

 くらいにしか考えていなかったから、これでは塩屋筑前守秋貞が不満を募らせるのも致し方ないところであった。


 天正三年(一五七五)五月、自綱にとっての朗報が入ってきた。

 三木家にとって長年悩みの種だったあの武田家が、三河長篠において織田徳川連合軍と決戦に及び、大破されたというのである。武田方の戦死者は万を超え、勝頼は這々の体で信濃に逃げ帰り、敵対する織徳の連合軍や謙信がその領内に雪崩れ込めば滅亡間違いなしというほどの窮地に陥ったのである。

 

 自綱は欣喜雀躍した。

 武田が滅亡することに期待したわけではない。そうなるに越したことはなかったが、そのような遠大な話ではなく、自分がこれまで進めてきた織田家との同盟が間違いではなかったことを家中に示すことができたとして、喜んだのである。

 自綱は塩屋筑前を召し出して、喜色満面に告げた。

「さっそく信長公に拝謁して先勝を祝賀せねばならん。宣綱任官の用途も必要である。金と駿馬を急ぎ調えよ」


 ことあるごとに織田家との連携を批判されてきた憂さが晴れ、その興奮のために、自綱は塩屋筑前があからさまに顰めたその表情の意味を汲もうとはしなかった。


 朝廷に献上する銭と、信長に贈る秘蔵の栗毛馬を携えながら洛中へと向かう自綱の旅は、安全そのものであった。信長の支配はその領国の隅々にまで行き渡り、つい最近までは信長と敵対していた郡上も、もはや信長の統制に服して、過去二度までも郡上に侵攻した三木家の当主がその領内を通過するに当たり、全く身の危険を感じないほどであった。

 自綱は郡上から琵琶湖東岸を南下して瀬田に至るルートを経由した。

 

 その道中に自綱が目にしたものは空前の光景であった。

 琵琶湖東岸に面する小高い山の麓に巨木巨石が多数運び込まれ、大勢の人々が忙しく立ち働いていた。これからこの小高い山の上に、見たこともないような巨大な建造物が建てられるのであろう。無論こんなことが可能なのは、織田信長以外にいるはずがなかった。

 

 信長の祐筆を務めた大田牛一が、これまでの信長にまつわる事蹟を収集し始めたのはこのころ(天正三年、一五七五)のことである。これは東国を代表する大大名武田家を長篠に破ったことで、いよいよ創業間近を実感した大田牛一が、後世に信長の事蹟を遺すことを明確に意識し始めたからだ、といわれている。その著作は後年、「信長公記」として結実することになるのであるが、信長自身もどうやらこの時期、織田政権というものの確立を意識し始めたようなのである。

 信長はこの年の十一月、家督と領国(尾張、美濃)を嫡男信忠に譲っている。無論隠居ではない。領国経営といった煩瑣な事業を部下に任せ、自信は権威を以て統治に臨もうとしたらしい。他を圧する規模の政庁は、そのために必要な装置であった。安土城のことである。


 どれだけ家中が上杉上杉と騒ごうと、如何に謙信が当代随一の武勇を誇ろうと、この巨大になるであろう建造物を目にすれば、誰しもが信長に服属することを選ぶに違いない。

 自綱にとって、未だに上杉との同盟を重視してこれに固執する家中衆が、一層田舎くさい頑固者に感じられたのであった。

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