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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第三章 三木自綱の野望
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反撃の狼煙(八)

 美濃郡上郡の両遠藤が顯如けんにょの要請に従って武田信玄に与することを明確にしたとき、既に信玄はこの世の人ではなかった。元亀四年(一五七三)四月下旬、両遠藤は信長勢力との境界に城を築いて反信長を明確にしたが、信長はこれに対して両遠藤より差し出されていた人質を処刑して報復したという(奇跡的に信長に対する敵対の意思が知られていなかったとする説もある)。

 自綱よりつなによる郡上討伐はその年の八月のことである。

 既に五月の段階で徳川勢が遠州井伊谷(いいのや)で武田勢と衝突、更に徳川は駿府に乱入して狼藉を働き、三河長篠城は徳川の重囲に陥っていたが、信玄を欠いた武田勢がこれを後詰することはなかった。

 それは郡上でも同じであった。

 信玄路上洛を頼みとして顯如に従い挙兵した遠藤慶隆と胤基は、二階に上がって梯子を外される形となった。

「東家遠藤家記録」や「遠藤家旧記」といった郡上遠藤家寄りの記録には、両遠藤の諸侍と安養寺乗了が奮闘して国司自綱を撃退した、後に自綱の妹を慶隆の嫁として迎え、祝言を挙げることで和睦したなどと記されており、特に「東家遠藤家記録」には


自綱をゑいやと引きし気良けら畑作はたさ 今ゑんたうのつるにまかるゝ


 との狂歌を引いて、両遠藤が自綱に対して優勢で終わったと特記している。

 因みに気良氏、畑作氏とは郡上の国人領主であり、「東家遠藤家記録」では他国の侵略者自綱に合力した裏切り者として描かれている。

「旧記」や「記録」で、自綱に対し勝利したとされている両遠藤であるが、実態は全く逆で、アテにしていた信玄の後詰も当然あるはずがなく、両遠藤はこの戦いで敗北し三木家に屈服、安養寺は郡上を捨てて白川照蓮寺ヘと逃れる始末であった。

 これは飛騨の新主姉小路古川自綱にとって家督相続後初めて決行した外征であり、絶対に敗北が許されない合戦であった。先にこの外征を塩屋筑前に諫言された経緯もあって、自綱は諸衆を励まし勝利を得たのである。


 得意絶頂にあった自綱の心胆を寒からしめる報せが入った。

 凶報を携えてきたのは鍋山豊後守顕綱、自綱舎弟である。

 顕綱は青ざめた顔で手を震わせながら一通の書状を差し出した。

 書状には


江馬中務少輔、三村右衛門尉所来翰具被閲、抑自綱対当方多来事、負無念千万之条、無二及行、可決是非之旨之覚悟候半、以御媒介、往和平江取成候処ニ、無幾程変化遺恨不浅候、先延引、来春ハ雪も消、馬足も融候ハ、必定出馬、可散鬱憤候、然刻、貴辺御本意不可有程、誠自綱如此被変色之上、始中終不相替御入魂祝着候、自今以後者、弥異于他申合浮沈共、不可有心疎候、委曲江馬中務少輔、三村右衛門尉可申候、恐々謹言

  九月廿八日         信玄(花押)

                勝頼(花押)

    豊後守殿


 と記されていた。

「なんだこれは……」

 自分でも声が震えていることが分かる自綱。

 まず目についたのは末尾の署名であった。確かに信玄とある。これに勝頼の署名花押が並ぶ連署状である。信玄勝頼父子が連署して

「雪が解ければ自綱を攻める」

 と明記しているのである。

 明らかに郡上攻めを敢行した三木家に対する恫喝であった。

 しかも続けて

「その時はあなたの本意もほどなく達成されるだろう。あなたとは相変わらず入魂で喜ばしい。今後とも心疎なく浮沈を共にしよう」

 と記しているのである。


 死んだとばかり思っていた信玄が、思わぬ形で上げた反撃の狼煙であった。


「なんだこれは……」

 自綱が発した問いは、先ほどと同じものであったが、その意味するところは、顕綱が武田と入魂の間柄を築いているらしいことと、その顕綱が自綱の与り知らぬところで何事か「本意」を抱いているという点であった。

 自綱は書状の真贋を確かめるより先にそのことを顕綱に聴取した。

「汝は誰の許しを得て武田と入魂の間柄を築いたのじゃ。汝の目指す本意とは何ぞ」

 これには顕綱、心外だと言わんばかりに反論する。

「兄上、これはあまりと言えばあまりの仰せ。もしそれがしがまことに武田と相通じ、かかる書状を得たというのであれば、兄上に披露することもなく隠し持っております。思うに書中の入魂とは、先年の大威徳寺の合戦における和睦のことを指しているのでしょう。これなど拡大解釈も良いところで、それがしと兄上の間柄を引き裂こうという児戯にも等しい武田の罠。書中に名の上がっている江馬中務少輔も三村右衛門尉も、我が鍋山の城には未だ姿を現してはおりません。

 そんなことよりも恐るべきは信玄署名でございます。家中を裂こうと見える術策も、如何にも信玄が好みそうなやり方。或いは死報こそ虚報で、楯突く者を一網打尽に滅ぼさんとする武田の罠に我等引っ掛かったのかも……」

 顕綱がそこまでいうと、広間の諸人みな押し並べて顔を真っ青にしている。他ならぬ自綱自身も顔から血の気が引いている自覚がある。

 自ずと次のような声が諸衆の口から上がった。


「やっぱり信玄は死んでなかったんだ……!」


 自綱は聞き咎めて叫んだ。

「馬鹿を申すでない!」

 自綱は続けた。

「信玄は死んでおる。そのことは塩屋三平が甲斐に入国して探索した数々の事実が物語っておる。越後の信玄が死んだと言っておるではないか。世迷い言を口にして人々を惑わすでない」

 

 なりふり構わぬとはこのことだ。

 自綱は、そろそろ足を洗おうとしていた上杉、更にその上杉寄りの塩屋からの情報を元に、信玄死去を強調せざるを得なかったのである。そのことは、自綱が家督継承直後から模索していた織田信長との連携が果たして正しいのかどうか、という疑問を、人々に生じさせるに十分であった。

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