反撃の狼煙(七)
塩屋筑前は即日、三平がもたらした情報を謙信に復命した。
謙信の許には、塩屋筑前が三平を通じて入手した以上に膨大な量の情報がもたらされていた。その一つひとつは確かに塩屋筑前が言ったとおり、信玄の死を真実と判断するには決定的とは言いがたいものであったが、これらの事象の中心部分に「信玄の死」を置いた場合、やはり各情報が線で結ばれたように感じられる性質のものばかりであった。
謙信は、塩屋筑前の復命を得る前から既に信玄の死を確信していた。塩屋筑前は謙信の見立てを聞いて拍子抜けしたが、それでも謙信は塩屋筑前が取った労を多として
「三平には苦労をかけた。武田の中枢にまで乗り込んで情報を得たのは当家では塩屋三平以外にない。見上げた胆力である」
と絶賛した。
次いで塩屋筑前は、三木自綱に謙信の見立てを伝えた。即ち信玄の死を真説として自綱に言上したのである。
「左様か。実はな……」
塩屋筑前より復命を得た自綱が切り出した言葉を聞いて、塩屋筑前は自綱に信玄死去を復命したことを後悔した。
「実は信長公より武田に与した郡上の両遠藤を討伐するように求められているのだが、余はこれに従って郡上に兵を進めようと思っている。信玄が死んだと聞いて、いま踏ん切りがついた」
信玄は上洛作戦の挙行に際して、年来同盟関係にあった顯如を通じ、各地の本願寺勢力を味方に引き込んでいる。一向宗と関係の深かった美濃郡上郡の両遠藤即ち遠藤慶隆と同胤基は、本願地の末寺である安養寺を通じて顯如の号令に従い、このとき信長に敵対していた。信長は自綱に対し、その両遠藤を討伐するよう求めたのである。
信玄存命とあれば信長に協力することなどとても出来ないが、死んだとなれば話は別であった。塩屋の復命を得た自綱は、思いついたように信長の要請に従うことを決したのである。
しかしそれにしても、自綱が両遠藤を攻めるということは、本願寺勢力を相手に戦端を開くのと同じことであった。
それは国内に多く一向宗門徒を抱えていたことで、越中在番を有名無実化し、一貫して越中の一向一揆勢と争うことを回避し続けた先代良頼の方針をあっさり反故にする行為であった。
塩屋筑前は諫言した。
「恐れながら申し上げます。殿は御先代存命中、謙信公より越中在番を申し付けられた折、それがしが越中在番に服しましょうと申し上げると、そのような大事はそなたの一存では決められぬと仰せでした。思うに飛騨国内に一向宗門徒は多く、越中に在番するということは同じ門徒衆を相手に干戈を交えることになるがゆえの叱責と拝察致しましたが、いまその言を翻して信長公御諚に従い郡上に兵を進めるはどう考えても得心が参りません。両遠藤と合戦するは門徒衆相手に合戦すると同じ。御自身の言葉を軽んずのみならず、御先代の御意向にも叛くことになりますぞ」
塩屋がそうまで言うと自綱の顔にカッと朱が差した。
「ぬかしおる塩屋筑前。聞いておればずけずけと。黙りおろう!」
過去の発言をとらえられ、正論を以て反駁を加えられた自綱は理屈でやり返すことが出来ず激昂した。不条理そのものの叱責に接して、塩屋筑前は顔を青くしながら退出した。
永年重恩を蒙ってきた三木家に対するなにかが、塩屋筑前の中で崩れ始めていた。




