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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第二章 三木良頼の謀略
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大威徳寺の戦い(六)

 思い返してみれば鍋山豊後守顕綱は、苗木勘太郎という人物の顔を見たこともなければ話をしたこともなかった。

 もし人から

「この人が苗木勘太郎です」

 と紹介されたとしても、苗木勘太郎を知らない自分からすれば目の前の人物が紹介されたとおり苗木勘太郎なのかどうかを真に知り得る手段などありはしないのである。そしていま、自分が置かれているのはまさにそのような状況であった。

 上座にあって苗木勘太郎を自称し、自分に盃を与えた人物は苗木勘太郎以外の誰かかも知れなかった。苗木勘太郎のふりをしなければならない何らかの事情があって、上座の人物は苗木勘太郎として振る舞い、そして影武者の任に由来する緊張からあのように激しく手を震わせ、なかなか盃に酒を注ぐことが出来なかったのかも知れぬ。

 そのような考えが浮かんでからというもの、顕綱には上座にある男の所作が逐一大袈裟で芝居がかったもののように見えてくるのだから不思議なものだ。

 しかしだからといってこの場で

「汝、苗木勘太郎殿の影武者であろう」

 などと発言することは外交儀礼上許されることではなかった。

 鍋山顕綱は盃を飲み干すと、

「ご無礼ながら」

 と前置きして上座に向き直り、

「当国は合戦と申しましても多くて数百人、ほとんどの場合は数十人程度で競り合うのが関の山の小さな国でございます。身近に優れた武功の大将などもなく、後世に語り継がれるような合戦に参加した者もございません。

 聞けば苗木勘太郎殿は、あの桶狭間合戦にも参陣されていたと伺っております。家中の者どもの後学にもなりますゆえ、是非ともそのときのお話を拝聴したいと存じます」

 と求めると、それまで愉しげだった宴席は俄に静まり返った。

 顕綱の求めは特段無礼というものではなかった。一端の侍であれば合戦の話をせがむのは当然の嗜みと考えられていた。またせがまれた方も求めに応じて懇切に話してやるのが当然のことと理解されていた時代のことである。


 因みに苗木勘太郎が桶狭間合戦に信長側に立って参陣してことは、「信長公記」にも記されている。本作では苗木勘太郎を苗木遠山氏の当主遠山直廉と比定する見解に則って書き進めているが、そもそも遠山直廉と苗木勘太郎が同一人物かどうかについては諸説あって一致を見ていない。したがって桶狭間合戦に参陣した苗木勘太郎が、本作における苗木勘太郎(つまり遠山直廉)と同一人物かどうかも明確ではないが、一応同一人物として書き進めていくのでご了承願いたい。――


 通常であればかかる話をせがまれて渋るものではない。さしたる手柄話はなくとも、こまごまとした心構えというものは合戦のたびに気が付くものであり、そういった話を聞かせてやれば良いのである。鍋山豊後守が数百人規模の合戦しか経験したことがないというのであれば、少なくとも両軍合算して数万人規模で競り合った桶狭間合戦における陣中での身の振り方を語って聞かせてやるだけでも鍋山にとっては参考になるはずであった。

 しかし苗木勘太郎はといえば青い顔をしながら

「いや、それがしなどあの折にはさしたる手柄もなければ戦域にすら達しておらず……」

 と、なんとも歯切れが悪い。

 見かねたように山村良利が割って入り、

「夜も更けて参った。そろそろお開きに致しましょう」

 と強引に幕引きを図ると、鍋山豊後守がせがんだ合戦話など最初からなかったものの如くそそくさと片付けられる宴席。


(やはりあれは影武者に相違ない。苗木勘太郎は死んだか、大怪我をしたものに違いない)

 合戦の手柄話を求めたことに端を発する不可解な遣り取りは、鍋山豊後守をして苗木勘太郎を凶事が見舞ったことを確信させたのであった。


 苗木勘太郎の死報が伝わってきたのは和睦からひと月後のことであった。

 宴席では何事もなかったかのように振る舞い、死の影が忍び寄っていることを全く感じさせなかった苗木勘太郎が、合戦後ひと月あまりで亡くなったことは、全く不自然というべきことであった。

 やはり三木三郎左衛門尉が放たせた毒矢は、苗木勘太郎を傷つけたのだ。和睦成立の宴席に着座していたあの人物は苗木勘太郎などではなくして影武者だったのだろう。

 鍋山顕綱は宴席で上座にあった人物を苗木勘太郎の影武者であると過たず看破したが、だからといってそれ自体が三木家の有利に働いたということはなかった。それはただ、自分が上座の人物を苗木勘太郎の影武者と見破ったというだけの話であった。

 既に三木三郎左衛門尉は切腹し、竹原郷は苗木方に割譲され、全ては終わったのである。

 敵の大将を傷つけるほど優位に立っていたにもかかわらず、一方的に不利な和約を強いられたことを思うと鍋山豊後守は、あの上座の人物を影武者だと見破ってしまったそのこと自体を後悔した。

 気付かなければ良かった。そうすれは後悔することもなかっただろうに、とすら思った。


(世の中には知らなくても良いことも確かにあるのだ)

 

 これぞ一連の顛末の中で、鍋山豊後守顕綱が秘かに得た人生訓であった。

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