一瞬の栄華(五)
低く垂れ込めた雲と狭い空。
父が在城する三枝城への道中、馬に揺られながら空を見上げ、何度溜息を吐いたか自綱は数えていない。
光に満ち溢れ、綺羅で彩られたような都の街区を一度でも目にしてしまった自綱にとって、住み慣れた地とはいえ飛騨はあまりに狭く小さく、またみすぼらしい国のように思われた。
ほとんどふた月ぶりに帰還したのであるから、ほんらいは遠目に見る飛騨の山々を懐かしく思うべきだったのだろうが、自綱を襲ったのは郷愁ではなく、うんざりしたような、塞いだ気分であった。
さっそく三枝城に登城して、父良頼に洛中の政情を伝えようとした自綱であったが、久しぶりに対面した父が以前にも増してやつれた様は、いっそう自綱の気分を昏いものにした。そんなふうなので結果を復命しようにも何処か上の空だ。
「自綱」
良頼が自綱に呼びかけるが、その視線は合わず返答はない。
「如何した自綱」
上座から再び良頼に声を掛けられ、自綱がようやく我に返った。気を取り直したように洛中の政情を報告する自綱。
「心配された公方様と信長公の軋轢については杞憂でございました。両者の関係は良好そのもので、公方様は信長公を父とも敬い、信長公は公方様の御為に二条に新邸を造営するほど。
両者は緊密であり、向後のことを思えば、越中在番ばかりを求めて負担を強いる上杉よりも織田家との友誼をいっそう深めるべきです」
報告の前半は耳を傾けるべきことが多かった自綱の報告であったが、末尾はまったくの蛇足というべきものであった。織田家との友誼を強調すること自体は間違いではなかったが、上杉家を指して
「越中在番を要求して負担ばかり強いる」
とした点は行き過ぎた表現というべきものであった。
越中在番を負担と感じているのは自綱だけではなかった。家中の誰しもが同じようにこれを負担と感じ、渋々ながら上杉に従っている、というのが本音であった。家中にそのような声なき不満が渦巻いている中、次期当主として不動の地位を確立していた自綱が、上杉批判を腹蔵なくまくし立てるような行為に及べば、自綱を推戴して現状を打破しようと企てる勢力が出現したとしてもおかしくない。三木家嫡男としては不見識な発言というより他なかった。
なので良頼は慌てて
「自綱、滅多なことを申すでない」
と窘めざるを得なかった。
自綱は父の言葉に従って上杉に対する不満を慎み、報告を継続した。
将軍と信長の関係が良好であることに引き続き、洛中の街区の繁栄している様。往来を人々は行き交い、いまより三十年前に良頼が上洛したころとは比較にならないほど復興を果たしていること。
そして公家の人々は、我等三木家を公家衆の一員と明確に認めており、それが証拠に、禁裏小番にも就かない我等に対して嫌味を言い放つ公家があったことなどを報告した。
自綱の口調は終始昂奮したものであった。
洛中の政情であるとか、どういった勢力が信長に楯突いているとか、そういったことを話す事務的な口調とは明らかに異なっていた。話をすること自体が愉しくてしようがないといった風情であった。その様子はさながら、物見遊山を終えた者の土産話であった。
上座にあってこの話に耳を傾ける良頼。
瞑目する様は、まるで自綱の話を聞きながら、その目を通して、自分自身が復興を果たした洛中の街区を歩く様を、夢想しているもののように、余人には見えたかもしれない。
自綱が語り終えると、良頼は言った。
「ご苦労であった。余に代わり、重大な任務をよくぞ果たした。帰って休むがよい」
その晩、良頼は身を横たえながら父直頼のことを思った。
父とともに洛中に至り、その悲惨な光景を目にした若いころを思い出しながら、いまは亡き直頼に語りかけていた。
(父上が望んだ姉小路古川の名跡を継承し、あなたの孫は、畏れ多くも主上に拝謁する栄誉に浴しました。間もなく泉下にて父上に面謁し、御報告することが出来るでしょう)
不意に、良頼の胸中に言いようもない後悔が湧き上がってきた。
自分は病気を理由に上洛断ったが、もしかしたらいまの洛中は、病気を押してでも真に赴く価値のあるところだったのではないか。
自分が若いころに経験した、洛中にまつわる嫌な記憶に囚われるあまり、貴重な体験を逸してしまったのではないか。
そう思うと良頼は、胃に件の鈍痛を感じた。
自分もそう長くないだろう。
そう思うと、夏の蒸し暑さも手伝って、なかなか寝付くことが出来ない良頼なのであった。




