一瞬の栄華(二)
良頼は信長副状を不審がると共に、洛中の情勢を見極める必要にも迫られた。即ち、信長が然るべき官途を帯びていない事実から疑われる将軍義昭と信長との対立の有無、あるとすればその程度を見極める必要に迫られたのである。
良頼にとって信長の出現は、武田上杉に次ぐ列強の出現に他ならなかった。副状を不審に思い上洛を拒否するのは簡単だったが、その後にどのような仕打ちが待っているか知れたものではない。対武田、対北条と何かと忙しい上杉が、三木家の要請に従ってこのうえ更に織田家との戦端を開くものとも思われぬ。
良頼は胃に鈍痛を覚えた。先々のことに思いを巡らせ、ストレスを感じたときに、近年出るようになった症状だ。
痛みに顔をしかめる良頼を慮って、自綱が申し出た。
「父上は最近体調が優れぬ御様子。それだけでも上洛を断る理由にはなりましょう」
「いや、病を理由に上洛を断ろうと安易に考える余ではないぞ自綱。余は洛中の情勢を見極めねばならんと考えておる。余自ら洛中に出向いてそれを……」
怪しみながらも上洛の意図を良頼が有していると知って、自綱は重ねて申し出た。
「それでは父上の名代としてそれがしが参りましょう」
「なんと……汝が……」
そう言ったきり絶句する良頼。
いうまでもなく自綱は姉小路古川の後継者であり、飛騨三木家の次期当主であった。当家にとって極めて重要な立場に立つ人物であり、危険な任務に曝すわけにいかない人物である。
しかし同時に自綱は、飛騨三木家を巡る情勢について、良頼と、多少の齟齬はあってもほとんど認識を同一にする者であった。同じ情報が父子の元にもたらされ、それに基づいて談合しながら政策を決定してきたのだから当然の話だ。
どうしても何者かを良頼名代として上洛させなければならないというのであれば、自綱以上の人選は確かになかった。
しばし沈思黙考した後、良頼は告げた。
「良かろう。それでは頼む自綱。もし公方様と信長公との間にのっぴきならぬ対立があって身辺に危難が及ぶようであれば、姉小路宰相としての立場を前面に押し出して急ぎ飛騨へと取って返せ。決して無用の危険を冒すでないぞ」
警句を発した良頼は、自綱に洛中の情勢探索を託して送り出したのであった。
時に永禄十三年(一五七〇)二月下旬のことであった。
あたり一面の焼け野原、死臭が終始漂う中、戦火に焼け出された人々が餓鬼のような姿に身をやつしながら食を乞う様子は憐憫をとおり越して恐怖ですらあった。
このように父良頼から常々聞かされてきた洛中の荒廃とは、いったいどこの国の話なのだろうか。
飛騨より遠く洛中に至った自綱は、人々が忙しく立ち働き、度重なった戦火から復興を遂げようとする力強い息吹を前に、父良頼が若いころに圧倒された時とは違う意味で、また圧倒されていた。
常に聞こえるのは鑿、鎚を振るう音。作事方の人夫に指示を下す声がこれに交じる。檜や杉といった建材が積まれ、あたりに充満するのは死臭などではなく馨しい新木のかおりである。
街区を行き交うのは人夫相手の行商か。作事に力を出した人々に食を提供する。
こういった行商のあとを、物珍しそうについて回る子供達もあれば、鞠をつき、或いは鞠を追いかけ回して遊ぶ子供達の姿もそこかしこに見られた。
きっと安全が保障されているのだろう。
作事の現場にあってその進捗状況を馬上から眺める男がある。
心静かにその現場を見守る横顔は、その顔貌だけを眺めれば、全体的に下に引っ張られたような間延びした印象さえ受けたが、漂う覇気はといえばひと言すら発していないにもかかわらず、ひれ伏すことを他に強要するが如き威迫を湛えて見えた。
不意に、男が自綱に視線を向けた。自綱一行にいま気付いたものか。
「何方でござろう」
ひときわ甲高い声で訊ねる男。
先ほどまで漂わせていた威迫の気風は嘘のように霧消し、そよ訊ねようはむしろ快活にして丁寧であった。
「御無礼仕った。それがし姉小路中納言の名代にして自綱と申す者。以後お見知りおきを」
自綱が名乗ると、男はこたえた。
「これは姉小路宰相殿。遠国よりよくぞはるばる起こし下された。それがし織田上総介信長でござる」




