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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第二章 三木良頼の謀略
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下々の国の苦難(九)

 そこへ。

「それがしが参りましょう」

 とする者がある。

 一座の目がその男に注がれた。発言者は塩屋筑前守秋貞であった。

 自綱よりつなは、塩屋筑前が自ら挙手して越中在番を名乗り出たことに対して俄に怒気を発し、

「控えよ塩屋。越中在番といった重要事、そなたの一存で決められるものではない。思うにそなたは曾て越中に根を張る商人だったゆえに、一向宗に傾斜することもなく利害もないからと名乗り出たものと見えるが、そのように足並みを乱せば上杉家に足許を見られ、結局は家中衆の多くが望まぬ軍役を強いられることになるのだぞ。他の迷惑も考えよ」

 と咎めた。


 その点は確かに自綱の言うとおりであった。


 塩屋筑前は元々父善右衛門の時代から越中に店を構える商人であった。確かに越中の至るところに存在した門徒衆を相手に取引したことはあったが、それだけの関係だ。いまはもっぱら三木家の武将として活動する塩屋が、取引相手として曾て懇意にしていた門徒衆と疎遠になるのは自然の流だったし、塩屋筑前自身が一向宗に傾倒していなかったことも、越中在番を名乗り出た塩屋筑前の真意と思われた。

 しかし衆議は越中在番拒否に傾きつつあった。

 そのようなところに持ってきて、自分は信者ではないし門徒衆とのつながりを持たないから、という塩屋筑前の個人的な事情のために国内の足並みを乱すようなことになれば、上杉はそこに付け込んで

「ほら見ろ出来ると言っている者がいるではないか」

 とでも言いながら飛騨衆全体に越中在番を強制することは明白であった。

 そしてかかる課役を一旦飲めば、その後にわたり何かと要求は課され続け、家中が際限のない軍役に苦しむことはいまから約束されたも同然であった。飛騨のような弱小国に拠って立つ三木家の人々は、そのような危険に身を曝しながらでも上杉に国防を委任しなければならなかったのである。


 良頼は越中在番に反対する人々に対して苦しい胸中を叫びたい気持ちであった。断ることが出来るならそうしたかった。

 しかし、もし三木家が上杉からの越中在番要請を断り交誼を断てば、武田は黙ってはいないだろう。飛騨に対する上杉の影響力がなくなったと判断し、これを好機とばかりに大軍を送り込んでくることは、過去二度の荒城郡侵入でも明らかであった。

 そして上杉は武田による飛騨接収の動きを看過することはないだろう。

 越中在番の要請を断った三木家を、上杉が積極的に扶けるということはなく、上杉はただ単に自分達の都合如何で軍を動かし、飛騨は大国の軍兵が入り乱れて焼け野原になるに違いなかった。 

 そのことに思い至ると良頼は、静かに口を開いて語り始めた。


「良いか皆の衆。そなた等の申すとおり、一旦上杉から課された軍役を飲めば、課役は次から次へと課されるであろうことは想像に容易い。そしてそなた等もそのことを厭うて反対している胸中を察しない余ではない。

 しかし日本有数の下々の国、飛騨にあって、我等だけで武田に抗し得ると考える者はあるか」

 そう問いかけられると、自綱をはじめ誰一人として反論することができない。

 良頼は、自身の発言に対し誰も反駁しようとしないことを見極めると再び口を開いた。

「さもあろう。もし武田恐るるに足らず、我等だけで返り討ちになどと申す者があればそれはみな嘘というべきで、家中にかかる不見識の者がないことが分かりひとまず安心した。

 それは兎も角、もし我等が越中在番を拒否し、しかも国防の任を越後に依存するような挙に及べば、上杉がどう出るか。

 そのことを考えたことはあるか」

 

「上杉は我等との利のない交誼を排し、飛騨に大軍を差し向けて来るかも知れません」

 発言したのは三木家重臣馬場(ばば)才右衛門尉さいえもんのじょうであった。

「そのとおり。そうなれば武田もまた飛騨に雪崩れ込んで来るであろう。上杉と武田は我等飛騨国衆の向背如何に関わらず、ただ我欲の赴くままにこの飛騨を荒らし回るであろう。飛騨の人々に残されるのは一面の焼け野原ばかりという有様になるに違いない。

 自綱、汝に問う。そのような焼け野原を鶴松に残したいか」

 

 問われた自綱だけではなく、もはやこの場にいる全て者が、良頼の言葉に反論できないでいた。

 

 この場を支配するのは、どうしようもなく沈痛な空気。


 飛騨という国の貧しさを理詰めで説かれ、いやというほど思い知らされたなんともいえぬ重苦しい空気感であった。


「塩屋筑前守秋貞」

 良頼はおもむろに切りだした。

「ははっ」

「真っ先に越中在番に名乗りを挙げたそなたの忠節、殊勝である。さっそく越中在番を命じる」

「御意」

「次いで、馬場才右衛門尉」

「これに」

「塩屋筑前の翌月は汝に越中在番を命じる。よいな」

「はは」

 越中在番の当番割りが順々に決められていく。

 みな不承不承これに従う以外なかった。

 良頼は最後に言った。

「汝等の苦しい胸中を察しない余ではないと申した言葉に偽りはない。我等が申し付けられたのは飽くまで越中在番のみ。もし門徒衆と合戦に及ぶようなことがあっても、命じられたのは在番であって一揆討伐ではないことを楯に取り、越後勢に合力してまで合戦をやらかす必要はない。どうしても戦わなければならぬときは退けば良い。戦わぬ我等を見て合戦を強要する上杉でもあるまい」

 と付け加えた。

 上杉からは不審がられようが、元はといえば一向宗とのつながりの深い飛騨の国情を顧みず越中在番を命じた上杉が悪いのだ。


(越中在番では、飛騨国衆の何人たりとも死なせない)

 良頼はそう固く決意していたのであった。

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