下々の国の苦難(五)
江馬左馬助時盛切腹の報は越後春日山城にももたらされていた。先述したとおり、江馬時盛の殺害は輝虎の暗示を受けて常陸守輝盛が実行に移したものであってみれば、打倒時盛の成功を聞いた輝虎は当初喜びもしたけれど、時盛存命中からの不安は俄に払拭されるものではない。
というのは所詮は小国飛騨の、しかも特に実り薄い荒城郡の一領主に過ぎない江馬常陸守輝盛が、左馬助時盛が受けたのと同様の恫喝を受けることはもはや自明の理だったからである。そして時盛が抗い得なかったこの恫喝を、輝盛であれば跳ね返すことが出来る道理などあろうはずもない。
そうまで思うと、ふと輝虎のなかに
(では、なにゆえに時盛を消してしまわねばならなかったのか)
という疑問が湧いた。
江馬時盛であれ輝盛であれ、荒城郡に本拠を持つということは国境を接する武田からの圧迫に常に曝され続けることを意味していた。左馬助時盛は絶え間ない武田の圧迫に抗しきることが出来ず、永年にわたる三木家との友誼を排してまで武田に靡いたのではなかったか。先々代三郎左衛門尉正盛、先代左馬助時経以来の友誼を排したというのだから余程である。そうしなければならないほど、武田の圧力は抗い難いものがあったのではなかったか。
だとすれば常陸守輝盛が武田の圧力を跳ね返すことが出来る要素は何かと輝虎は考えた。
近年江馬の領する荒城郡の山中から銀下(鉛)の鎖(鉱脈)が発見されたらしい。
いまや軍を編成する上で鉄炮は欠かせない武器になっていたし、鉄炮を装備する以上弾丸は絶対に必要な物資であった。その主成分が銀下だった。
銀下が俄に重宝されるようになってきた時分とはいえ、飛騨の山中にこれら銀下の鎖を穿つ山の民はいない。江馬家にそのノウハウがあるわけでもなく、それはただ単に発見された、というだけ話であって江馬家の財には結びついていないのが現状であった。
つまり江馬輝盛は武田の圧迫を跳ね返すことが出来るような財力も武力も持ちあわせてはいない。
輝虎はふと、幼いころに入った春日山林泉寺で、自分の腕に口吻突き立てる蚊を無数に叩き潰した出来事を思い出した。
境内を掃き清めていた腕や脚に蚊は飛来して、幼かった虎千代(輝虎幼名)から血を吸い取った。吸われた箇所は痒くて、たかる蚊は煩わしかった。虎千代は腕や脚にとまった蚊を叩き潰した。
しかし蚊は潰せど潰せど際限なく湧いて出ては虎千代を悩ませた。
いくら叩き潰しても、蚊は次から次へと湧いて出てくるし、血を吸われた箇所は痒くなるだけの話であった。
むしろ蚊に苛まれて波立つ心を虎千代は憎み、蚊と一緒に自分の肌を叩く方が余程痛いと考え直して、蚊を叩き潰すことを止めた。
そう思い至るまで叩き潰した蚊はいったいどれだけの数に登るだろうか。
結局諦念を生じて蚊を殺すことを止めたのであれば、既に叩き潰した蚊は何故に殺されねばならなかったのだろう。
虎千代はふとそんなことに思いを致した。
もう何ものにも心をかき乱されず、境内を掃き清めることに全神経を集中させようと思った刹那、虎千代の耳に、あのなんともいえぬ不快な蚊の羽音。
虎千代は思わず首をすくめた。
腕には一頭の蚊。いま耳元で不快な羽音を立てた蚊と同じかどうかは知らぬ。
虎千代は反射的に蚊を叩き潰した。
左馬助時盛の死を聞いて、一種感傷のようなものに浸っていた輝虎は、幼かったころに春日山林泉寺の境内の一角で人知れず繰り広げた蚊との飽くなき格闘の顛末を思い出していた。
(煩わしいものは煩わしい。人の腕に止まった蚊が叩き潰されるのは仕方のないことだ)
輝虎は時盛にまつわる感傷を振り払った。
それと同時に、もし常陸守輝盛が上杉の意に添わぬ動きをしたならば、その時はその時、飛騨国衆などには及びもつかぬ越後の大軍を即座に派遣して、林泉寺の境内に屠った無数の蚊の如く、容赦なく叩き潰してしまえばそれでよい。ただそれだけの話だ、と考える輝虎なのであった。




