下々の国の苦難(一)
先代三木大和守直頼死後、新左衛門尉直弘、新介直綱も既に亡く、三木家勃興期を支えた四兄弟のうちで存命なのは新九郎頼一ただひとりであった。しかしその新九郎も既に齢六十の半ばに達し、いよいよ最期の時を、この三佛寺城に迎えようとしていた。
病床の枕頭には新九郎頼一の嫡男新兵衛とその子三郎左衛門尉。一族領袖にして、いまや姉小路古川の名跡を嗣いだ良頼とその子自綱も、長老新九郎頼一がいよいよ危ないと聞いて急遽この三佛寺城に集った。
「良頼殿はおわすか」
息も絶え絶えに、新九郎が良頼の名を呼んだ。
「ここに」
良頼が新九郎の枕頭ににじり寄る。
掛け物から伸ばす、痩せた新九郎の手を握って良頼は内心驚きを隠せないでいた。その血色の悪さ、失われた力強さは、最期の時に当たって手相から滲み出る血の幻に苛まれた父のそれと全く同様のものだったからである。
「夢を見ておりました」
頼一は唐突にそう切り出した。
「覚えておいでか知らぬ、あれは殿が十そこそこの幼年だったころのこと。王滝村に木曾義元を討ち取ったいくさを、殿はご存じか」
いまを遡ること三十八年前の享禄元年(一五二八)七月、信飛国境の長峰峠を越えて、木曾の軍兵が俄に飛騨に侵入するという事件があった。木曾の兵は飛騨の唯一の財といって良かった杉や檜の良材を伐り取る乱妨狼藉に及び、防戦に出た東藤相模守一党を散々に打ち破って得意満面王滝村に凱旋したところを、新左衛門尉直弘、新介直綱が俄に襲い掛かり、敵将木曾義元を討ち取った三木家会心の勝利にして、兄弟が力を合わせて他国の侵略者を打ち破った記念すべきいくさであった。
良頼自身、幼いころから折に触れ直頼に聞かされてきた話である。
「無論、存じております」
「あの折、兄和州公(直頼)は初陣を望む若年のそれがしにそれを許さず、却って木鶏の故事を語って聞かせてくれたものでした」
木曾の侵略を受けた飛騨国衆が頼みとしたのは、荒城郡の一領主に過ぎない江馬家ではなく、また廣瀬などでもなかった。あまつさえ三家に分裂して久しかった小島、向、古川といった三国司家ですらなかった。人々は皆、三木家こそ飛騨を代表する勢力と認識し、だからこそ三木家を主体とした木曾討伐に協力したのである。
しかしその挙国一致すべき場にありながらなお、向家家宰牛丸与十郎は国司の威勢を笠に着て傲岸不遜な振る舞いを改めることはなかった。新九郎はその牛丸与十郎に若者らしい直截な怒りを抱いたが、直頼は荘子達生篇所収の木鶏の故事を語って聞かせ、王者の心構えを説いたのである。
「近年の国情つらつらおもんみますに、姉小路古川の名跡を得て一見盤石に見える我が三木家の威勢ですが、これなど伝統に裏付けられたものなどではなくして礼銭によって買った名跡と軽んずる声もまた多い。まずそのことをお忘れあるな」
新九郎は良頼にとっては耳障りともいえる諫言を言ったが、それも主家の行く末を案じてのことである。




