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飛州三木家興亡録  作者: pip-erekiban
第二章 三木良頼の謀略
118/220

時盛切腹(六)

 輝盛はその特徴的な切っ先を眺めながら思いを馳せた。

 いまから五十年近くも前の永正十五年(一五一八)、越中境の有峰峠に身を隠し、まだ幼かった父時貞を重臣河上重富の手に託して、小鴉丸の切っ先を自らの喉に突き立て果てた祖母小春の伝承に思いを馳せたのである。

 それは輝盛が幼少のころから、片時も離れることなく付き随ってきた中務丞富信から折に触れて何度も聞かされてきた江馬旧惣領家悲劇の物語であった。卑怯にも旧惣領家を裏切った左馬助時経は、その小鴉丸に宿っているであろう小春の怨念を恐れ、このように封印を施した一画に家宝を隠したのである。そしてその跡を襲った左馬助時盛が小鴉の太刀に宿る怨念を恐れて引き続きこれを隠匿し続けたとしても、小春を祖母とする輝盛が、小鴉丸の怨念を恐れなければならない理由などなんらない。


 むしろ、祝福。


 いまや惣領の地位を旧惣領家に取り戻した輝盛にとって、小鴉丸が我が手に落ちたことは、父祖の霊から受ける祝福にほかならなかった。 


「逆徒左馬助時盛は滅び、江馬惣領家の権は斯くの如く常陸守輝盛が取り戻した」


 輝盛が小鴉丸を高々と掲げて宣言すると、江馬の諸衆はその場に折り敷き、臣従の意を示さない者は一人としてなかった。


「江馬常陸守輝盛が左馬助時盛を切腹に追いやり、惣領の座に就いた」

 この報せは飛騨国中(くになか)に轟いた。

「我等の裁定を覆し時盛を切腹させるとは……」

 良頼は絶句した。

 江馬家累代の怨念を温存し、その弱体化を図るという目的が失われただけでなく、自分達の言いなりになるとばかり思っていた常陸守輝盛が、自らの主体的判断で惣領家簒奪を企図し、実行に移したことに衝撃を受けたのである。良頼、自綱父子は次ぐべき言葉を失った。そして言葉にならぬ父子の思いは次のとおり一致していた。


 将来、江馬家との間で戦いが行われるであろうこと。そしてその戦いはきっと、飛騨の覇権を賭けた一大決戦になるに違いないということ。


 両者の胸の裡を、不安の黒雲は覆い尽くし、重苦しい沈黙がその場を支配したのであった。


  *  *  *


 江馬左馬助時盛の生没年ははっきりしない。

 実のところ、時盛が江馬家当主として活動していたことを示す確たる史料すら存在していないのが現状である。しかも時盛の史料上での初見、終見は、先に記した永禄七年(一五六四)のものと思料される十二月廿三日付江馬時盛発上杉輝虎宛書状のたった一通だけで、これは江馬常陸守輝盛が少なくとも永禄二年(一五五九)時点で登場するより五年も後のことになる。

 つまり江馬時盛という人物は、上杉家に対して誓詞血判を提出する旨の手紙と共に日本史上に姿を現し、そしてその書状を最後に忽然と姿を消した謎の存在というわけである。生没年はおろか、これでは江馬家当主であったことや、各種軍記物語に言及されている輝盛との親子関係にすら疑問を抱かざるを得ない。

 このことは中世江馬氏の研究に携わるあらゆる先学の指摘するところであり、本作もその見解に従って、時盛が江馬家当主であったことに疑念を抱く見解は兎も角、両者が親子の関係にあったという前提についてはこれを排して記した。

 時盛没年については、「江馬家後鑑録」「累代記」では天正六年(一五七八)七月十六日、「円城寺過去帳」では天正元年(一五七三)八月十五日とするなど一定しない。各説あるなか、時盛が確実な史料上から姿を消す永禄七年(年代比定は「越佐史料」に拠る)をその没年とする研究を私は寡聞にして聞かないが、有り得ぬ話ではないと考え、そのように本作を書き進めた。

 軍記物語に記す時盛、輝盛父子の相克を本作に期待した向きには期待外れも甚だしい展開であろうが、根拠なくそうしたわけではないので、爾後ながらご了承願いたい。

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